無題 (あるいは個人的な行動指針)
24 Aug 2010 9 Comments
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想像すること。
見えないものを見ようとつとめること。
現実はいつも、人間の想像力をはるかに超えたものだ。
世界はあなたが想像するちゃちな未来とは無関係に今この瞬間にだけ存在していて、混沌に限りなく近い構造をしている。あなたは世界で起きていることのほとんどを理解できないし想像すらできない。それでいて、あなた自身が世界の一部を構成している。あなたが想像すること、あなたが語る言葉、あなたがとる行動のすべてが世界と連動している。あなたがどのように世界を認識するかという段階で、すでに責任は生じている。あなたの想像力の欠如が、現実の可能性を限定している。
だから、想像すること。見えているものの背後にある世界の無限の深みと広がりにいつも意識を注ぐようにすること。
自己本位に行動すること。
認識は神経間の数だけ存在していて、そのすべてが絶対的である。
みんなにとって正しい答えはない。どんな理論もつきつめれば暫定的な仮説に過ぎない。誰かの考えをまねても、目の前の濃い霧がより深まっていくだけだ。前提に前提を重ねた論理の足場はもろく、その上に立つかぎり不安が消えることはない。
自分が立てた問いに答えを出せるのは自分だけである。
だから、あなたが考えて、行動すること。その頭と体を起点にして自分の素足で立つのを恐れないこと。
自分を欺かないこと。
人間は自分にうそをつくことができる。とくに苦痛を感じたり傷ついたりしたとき、意識にのぼらないぐらい速くあなたの精神はそれを隠すことができる。あなたは自分の反応に気付かない。しかし、消えたように見えてもその反応は意味を与えられないまま無意識にとどまり、あなたの行動に影響を及ぼす。あなたはそれを自覚しないまま翻弄される。
だから、真実を守ることより、真実をねじ曲げることのほうがたやすいときでも、真実を守るように心がけること。あなたの感情と身体の反応に注意を傾け、耳をすませること。
歩きながら考えること。
現実は運動し変化していくから、正しい結論を出してから行動するのは時間の無駄だ。すでにゴングは鳴っている。ピストルは放たれている。ひるんで立ち止まっている暇はない。大まかなベクトルをつかんでとにかく歩き出すこと。いつでも直感は論理にまさっている。あなたの無意識はあなたより先に進む方角を知っているかもしれない。勘で歩き出して、後で帳尻を合わせるように努力すればいい。間違えたと気づいたらすぐに軌道修正すればいい。その労力を惜しまなければ、大きく蛇行しながら前に進んでいける。
だから、つねに歩き続けること。歩きながら必死で考え続けること。自分のベクトルの先がどこを向いているかをいつも認識して軌道修正を怠らないこと。
恐怖を動源にしないこと。
人の行動はその人物のもつ恐怖によってかなりの部分が支配されている。気づかないところで、あなたは自分が恐れる状況を回避するためにかなりのエネルギーを費やしているかもしれない。しかし恐怖を動機づけにした行動の結果はあなたに満足を与えない。むしろ徒労感とむなしさとさらなる恐れを生む。
だから、恐怖を行動の動機にしないこと。そのためには自分が恐れているものを自覚すること。あなたの精神の暗部にふみこんでその中身を見る勇気を持つこと。
苦悩の中にとどまること。
ただ苦しいとしか感じられないとき、あなたはまだ完全には苦しみの底を見ていない。苦しみをもたらしている物事の本質にたどり着いていない。あなたは意識的にか無意識的にか、そのもっと底まで落ちることを避けているかもしれない。大抵は、恐怖によって。しかしその苦悩に対する答えはその苦悩の中にしか見つけられない。あなたが成長を勝ち取る機会はその場所にある。あなたはなんとしてもその先にいかなければならない。
だから、苦しみの底に足をつけること。何かを学び取るまでその場所から動かずにとどまること。必ず一点の光が見えて、進む方角がわかるときがくると信じること。
幼稚なものを嫌悪すること。
幼さはいろいろなもののあり方に含まれている。あなたの行動や、他者の行動や、集団の機能や、政治や運動の中に含まれている。今より少しでも賢くなろうとするこころざしをもっていれば、あなたはそのことに気づくはずだ。
たとえば習慣化された行為や、自己愛に満ちた言葉や、排他的な身内愛や、片側からの正義や、無意識の同調や、社会性の高い発言や、洗練しているように見せる態度や、わかりやすすぎる論理の中にある無自覚な幼稚さに気づいて苛立ちを感じるだろう。
その感受性をもちつづけること。そして少なくとも自分は少しでも賢くなっていこうと強いこころざしをもつこと。
情熱を自家発電すること。
動機と目的と行動は一貫しているほどいい。しかし「のぞむことをかなえるためにことをおこなう」というそれだけのことが、簡単にねじれる。あなたの行動の裏には隠された別の目的があり、それを支える別の動機があるかもしれない。説明のつかない無力感に襲われるとき、それは隠された本当の熱源が枯渇しているからだ。行動を支えている動機がその行動によって直接満たされるものでなければ、あなたの情熱はいつか枯渇する。あなたは自分のベクトルを失い道に迷うだろう。不純物の混じった燃料では遠くまで走れない。
だから自分の情熱を資源にして行動を起こし、その行動によって新たな熱を生み出せるような循環型の発電所を自前で用意すること。そのために、いつも自分の動機と目的を行動と一貫させようとつとめること。
絶望しないこと。
絶望的になるのは怠慢である。八方ふさがりだと感じるのはあなたに想像力が足りないからだ。未来は存在しない。まったく、どこにも。あなたにはわかるはずがない。オプティミズムもペシミズムも同じぐらいナンセンスなものだ。しかし過去は作ることができる。今この瞬間のあなたの行動が、5分後には5分前の過去として記憶に残っていくように。今日誰かのためにしたことが、あなたが死んだあともその人の心に残っていくように。
だから最後の瞬間まであきらめず、望みを捨てず、知恵を振り絞ること。どんなことがあってもイエスという覚悟をすること。自分にはそれができると信じること。
諦観を乗り越えること。
諦観はいつもあなたやあなたの住む世界を分厚く覆っている。それが当たり前になりすぎて、そこにあると気づかないほどに、いつも。あなたは言いかけた言葉を飲み込む。自分の感情の動きや違和感に気づくまいとする。信じることを放棄する。望んでもかなわないから望むことすらやめてしまう。期待しても裏切られるから、誰にも気持ちを預けない。失うのが怖くて手に入れようとしない。
諦めても諦めなくても人生は続いていくが、大事なことを保留にして生きることは容易くはない。絶望がない代わりに、あなたは緩慢な死の予感を感じ続け、先に行くほど狭くなっていく洞窟を進むように残りの時間をすごすはめになる。そこにあるのは絶望ですらない。それが大問題なのである。
だから、望むより先に諦めないこと。分厚い諦観の霧をかき分けて生きること。諦観するくらいだったらとりあえず先に絶望すること。
自分の望みに本当に叶える価値があるかを疑うこと。
世界はあなたのためにあるのではないから、個人的な望みがほかの多くの可能性を差し置いて優先されることはありえない。究極的には、あなたにとってもっとも大切な人の命と見知らぬ誰かの命を、あなたは同時に救わなければならない。そのための知恵は必ず見つかるはずである。自分を越えることはできないが、自分の立場を超えようとつとめることはできる。
だから、自分の立場を超え、意識の半径を拡大すること。自分の望みが叶うことが自分以外のものにとってどのような意味を持つかと考えて、その価値を問うのをわすれないこと。
愛情に根ざした最良のことをすること。
愛という概念は消去法によってしかうまく説明できない。誰かのために何かをするのは、うまくやっていくためではなく、その人に自分が愛されたいためではなく、自分の存在証明のためでもなく、もちろん金やモノや別の構成概念と取り替えるためでもなく、別のどんな望みをかなえるためでもなく、ただそうしたいからするのだ。そこにあるのはどこにもいかない完結した願いである。
すぐには伝わらなくても、残された時間であなたがしたことは人の記憶に残り、ずっと先になってその人の救いになるかもしれない。
だから、あきらめないで行うこと。単なる愛情によって、自分ができることのうちで最良のことを行うこと。
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わたしたちは深い森の奥で生まれ、散々迷い歩き回って、同じ森の中で死ぬ。ひとりひとりが見て回ることができるのは、森のほんの一部に過ぎない。わたしたちはおそらく死ぬまでその森の全体像をみることはない。しかしわたしたちが歩き回って残した地図や目印を手がかりにして、いつか誰かがこの森の存在を解き明かすだろう。
それが今である必要はない。それが自分である必要もない。そのいつかのためにできるだけ深く遠くまで見て回り記録を残すことがわたしたち一人ひとりに課せられた責任である。
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※2006年から2007年にかけて「無題」というタイトルで自分のために作った行動指針である。忘れないために、ノートにファイルして、何かに困った時に時々参照している。ごく私的な指針ですが、オンラインにあると便利なので、思い切ってアップしてみました。

Sep 01, 2010 @ 13:36:59
あいさんの言葉が大好きです。わたしも30歳を超えるまでには、そういう行動指針みたいなものを、創り上げられるんだろうか、と思います。
そういえば、わたしの知り合いが電話面接でアイさんとお話したと言っておりました◎わたしがカクタスで働いてた頃が思い出されました。なんかいろいろと苦労らしきものをした思い出もあるんはずなのですが、ほんっとに楽しくて、やりがいがあったなーってことばかり蘇ります。またいつか絶対Vashiにかえりたい。
Sep 01, 2010 @ 17:38:15
そうそう、あけみさんの後輩(?)の人と電話で話したよ。後押ししてくれて感謝!楽しい思い出ばっかり残っているのは、のど元過ぎれば熱さ忘れるってヤツだよー、それ。ふふふふふ。
Sep 02, 2010 @ 04:27:16
やっぱアイさんもそう思いますか?(笑) いやなことを忘れるのって、本当に大事なことだと思うようになりました。手痛いミスって、実は心のなかの深いところでずっと残る(わたしの場合は)。後悔と反省がつきまとう人生は、なんだか楽しくなさそうで、いやです。
わたしも彼と直接会ったことはないんですが、研修先を迷っているという噂をきいたので、カク●スがいかにすばらしい職場かをアピールしたら、なんか応募してくれたみたいですw研修にいくことになったら、たかしくんと3人で一緒に送り出し会でもしようかな、と思ってます。
Sep 02, 2010 @ 11:34:57
うん、そうそう、忘れるのってほんとに大事ですよね。私、もう完全に記憶喪失してる時期が結構あるもんなー。・・・ってそれはすべてが昔の思い出すぎるだけか?後悔しない、反省しない、自分のせいにしない、って気持ちよく生きるために重要だと思うわ・・・。
例の彼は、会ったことはなかったのね。ほんと、背中押してくれて助かりました。ますたにさんの一言が決め手になったって言ってたんだよ。送別会、ぜひぜひやってあげてください。
Sep 23, 2010 @ 02:38:37
Ai-san,
I have posted my comments on this topic, explaing your personal principles, the other day. However, since the post has not yet been uploaded, I again try to write something that I have received from reading this topic.
Before starting the discussion, please allow me to describe the current climate in Tokyo. Now, it starts raining, and it is heavy rain. This is blessed rain. Since for the past 3 months in straight, we have little rains, and we have suffered from hot weather. Newspapers say that this summer is the hottest in Japan since the temperature recording started in 1946. According to the news, it starts autumn from today.
I have found your post on the personal principles interesting. I am interested in how you have obtained the inspirations to construct the pricples, and what the princples mean.
I think the principles could not be constructed unless you had experienced or had been trapped in the opposite behaviors/thinkings to the given principles. In addition, you are blessed with an exceptional ability to memorize what has happened in your life and what you have learned from past experiences. This ability may enable you to express the principles.
I have reviewed almost all of your posts on this blog, and I like most of them. Above all, this post on the principles is the most interesting one. This is because I agree to the princples. But also, I could re-examine my life by reflecting to the principles. The principles provides me with rules and motivations.
However, unfortunately, I cannot say that I am completely compliant with the given principles. My life is base on many compromises.
Takanori
Sep 23, 2010 @ 08:57:36
Takanori san,
Thank you for your warm comment on this topic. I feel happy that people could get the meaning from the, kind of, abstract words of this personal principles. I hesitated to put up this content for a long time since it’s purely written to myself.
(And I can’t find your previous post anywhere for some reason. There must have been some system errors. I wanted to read your past post too.)
As you said, the principles are constructed in realizing the opposite behaviors. I needed to write down clearly and unmistakably to make sure that I won’t make the same mistake in the rest of my life, so I will never go back to the worst place again.
Actually I am also not totally compliant with my rules yet, so I often come back to this and refresh my mind. It helps, very much.
P.S.
I heard about the crazy climate of Japan this year…, you’d had a very hard time in this summer. I am glad that it’s almost end; I will visit Japan in Oct to see my family, so was worried if I had to experience it, too.
Thanks always for your comments. Really appreciate it.
Oct 10, 2011 @ 03:55:33
すばらしいですね!
あいさんのブログを読んでいると、頭の中がすっきりします。
ありがとうございます!
Yuki
Oct 10, 2011 @ 15:52:01
私も自分の頭をすっきりさせるためにまとめたので、そう言われるとうれしいな・・・・。ありがとうございます。