パラダイス・ゴア(4)「深夜特遅」バスとホテル・パラダイス

週末の2日間かけてゴア・トリップしてきた。ゴア・トリップといってもホントにいわゆるゴア・トリップした訳じゃなくてただの一泊旅行です。過去のゴア記事は(1)(2)(3)参照。

土日はほとんど平日できない映像編集の仕事でつぶしたので、まったく心の休まる暇がなかったのがここ1〜2ヶ月。新年度になって新しい仕事と責任がふくれあがって、ちょっと太刀打ちできなくなってしまったので、ここは無理矢理にでもブレイクを取らなければ、と思い立ったその日にゴア行きのバスのチケットを取った。幸いフットワークの軽い友人が「行く!」と一瞬にして返事してくれたので、旅の仲間もできた。

ゴアはボンベイからバスで12時間、飛行機で1時間ぐらいの距離にある。電車がいちばん安くて快適なんだけれど、その分人気なので出発の3日前にいきなり取ろうとしてもなかなかチケットが取れない(後で聞いたら、出発前日限定の緊急用の席が取れるシステムなんだそうですが)。結局バスを取ったんだけれど、この深夜バスがゆっくり走っていたのかなんなのか到着に18時間かかって、金曜日の夜に出てゴアに着いたのが午後2時ごろであった。

とはいっても着いたら気分はもう休暇。着いたらビーチに突っ走って、あとは日が沈むまで、飛行機の時間まで、とにかく泳いでデッキチェアで昼寝して、また泳いで、昼寝して、本を読んで、ビールを飲んでまた泳いで。おいしいエビやイカやキングフィッシュをたっぷり食べて。シーズンオフだからビーチには人もまばらで、海を全部独り占めしているみたいだった。真夏のゴアの海は、ほとんどぬるま湯に近いぐらい水が暖かい。だから泳いでいても波と遊んでいても、なんだか巨大な温泉に浸かっているみたいな気分だ。たった24時間の滞在だったけれど、時間を忘れて、まるで何日もいたような気持ちになった。ゴアのそんなところが本当に好きだ。

今回は一日しかないので前にもいったOzra Beach(別名Small Vagator、アンジュナから北にバイクで10分)にさっさと向かって、目を付けていた安いバンブーコテージ、「パラダイス」に宿を取った。季節外れなので2人で一晩300ルピー(600円ぐらい。もっと安いところはこの時期200〜300円ぐらい)。

この「パラダイス」、見かけは素敵なんだけれど、なんせ自然素材でできている高床式住居なので、隙間だらけだし歩くと揺れるし、窓は布一枚。シャワーとトイレは共同である。隙間から当然蚊も入ってくるのでベッドには蚊帳がついている。防音機能が全然ないので、通りを走るバイクの音や人の話し声がどんどん聞こえてくるし、ふにゃふにゃの壁とドアなのでちょっと力を入れれば誰でも入れる感じでセキュリティがまるでなってないので、多分繊細な人は怖くてよく眠れないかもしれないけれど、一日海で泳いで疲れて酔っぱらっていたらどんなにうるさくても死体のように眠れるものです。

どれだけ建物がふにゃふにゃで防音設備がないかというと、ネパール人従業員が集まっている受付に歩いていったら、従業員のお兄ちゃんやおっちゃんたちが集まって黙り込んでいる。「ねえねえ」と声をかけると、受付の隣のコテージを指差しながら「耳をすませて、よくみてごらんよ」と言う。注意してみて見ると、コテージがぐらぐら揺れて女性のあえぎ声が10メートルぐらい離れた受付まで聞こえてくるのだった。

長期滞在のヨーロピアンカップルが昼間にワイルドな1ラウンドをこなしていたらしいんだけれど、従業員達が口をそろえて「あの人達、あの調子でほとんど24時間営業なんだよね」「そうそうずーっとやってんだよ、朝、昼、晩と」という。「無料ポルノだねえ。ラッキー?」と聞くと、「まあなんというかもう、午後の素敵なミュージックだね」だそうだ。こういうカップルは奥の方のコテージに案内した方がいいと思うんだけど、まあ受付付近にいてくれればシーズンオフの暇つぶしにはなるかもしれない。「あ、はじまったよ」なんていって、暇なネパーリーがバードウォッチングみたいにじっと立ち止まって人間の営みを耳を澄ませて聞いている。のんきだ。

そんなゴア。ボンベイに帰って来た瞬間、空港のリキシャ・ドライバーに追いかけられて、マンデーブルーにやられて、一瞬にしてそののんきさはぶっ飛んだけれど、行ってよかった。また行こう。

※「パラダイス」はバガトア・ビーチの横の小さなビーチ、オズラン・ビーチ沿いなので、アンジュナの観光ガイドにオズランのパラダイスと言えば問題なく連れてってくれると思います。

インドの夏と停電

ボンベイの4月は暑い。生きているだけで汗が出てくる。うちにはクーラーが無いので、天井に大きな扇風機のあるホールにベッドをよっこいしょと運んで来て、なんとか暑さをしのいでいる。週中はオフィスにいるのでそんなに気にならないのだけれど、週末の日中の室内は温室みたいに暑いので、カフェに避難して本を読んだりして過ごしている。停電があったりしたらもう暑くて床のひんやりしたところを一人ごろごろ転がっているしかない。うん、去年もこんなかんじだったな、とけだるく思いながら。

新しい年度になって、新しい仕事が山積みだ。アイディアをギュウギュウ絞り出してぐいっとまとめて形にする仕事ばかりで、時々頭が熱くなりすぎて気絶しそうになる。仕事はマテリアライゼーションの面白さと恐怖の間にいつもあって、無心に走りながら、いい意味で自分を失っている。余裕がない。やりたいことが、未来の余白が見えないぐらいに積み上っていて、よけいなことを考えている暇もない。

仕事の手があいたら、旅にも出たい。まだ行っていない北インドやネパールも見てみたい。お金がたまったらアフリカやヨーロッパにも行きたい。気楽にゴアにも友達と1週間ぐらいゆっくり行って休みたい。読みたい本も棚に積上っているし、時間ができたらじっくり書きたいテーマも手帳にぼちぼち溜まっている。写真や映像編集、デザインも先のためにもう少し勉強しておかなければ。そう思いながら、ほとんど手がつかないままだ。

それでもふと、摩耗しきって床に転がって天井を見ている週末の午後や、リセットしきれていない頭でなんとか一日を乗り切った月曜日の深夜に、油断していると心に降りてくる小さな孤独のような空虚な感覚にとらわれるときがある。一定のスピードで生活を送っていると、「置いてけぼりにされた何か」がこんこんと心臓をノックしているような気がする。そんなときには、どんなに仕事がうまく行っても、やりたいと思っていたことができても、心から楽しめない。だからぼんやりと天井を見ながら、その何かについて考える。

そういう種類の孤独は、どんなに親しい人がそばにいてもどうにもならない。いわば自分と自分との乖離だから、静かに辛抱強くもう一部の自分が追いついてくるのを待って、せーのでまた歩き始めるしかない。一人でものを考えて暮らすのに慣れてくると、そんな風に壁に向かってテニスの試合をしているような気分になることが時々ある。それでもまた歩き出して、発信して、誰かとふと心が通じた気がするときはうれしい。

「ムーミン谷の夏祭り」で、ばらばらの場所から集まった仲間が停電の真っ暗闇の中で小さなろうそくを見つけてつけた時に、まるでみんなが一つの人間になったようなほっとする気持ちになった、というくだりがある。いつも、孤独な停電の向こうにそんな瞬間を探している。ろうそくの代わりに扇風機がまわってくれればいいのだけれど。

年度末は忙しい

年度末である。今年のまとめやら来年の計画やら、考えることや納めること新しくはじめることがいろいろあって忙しい。まあプライベートでは特に3月だからってやることはないんだけど、オフィスでの話である。

時々ふと、仕事ってなんで毎日毎日あるんだろう?と不思議に思うことがある。数珠つなぎと言えばよい方で、むしろ3重、4重の螺旋状に複数の仕事が平行して永久につながっているのが現実である。不思議だ。「アルマゲドン」の石油発掘チームみたいに、1つの仕事が終わったらお金をたんまりもらって長期休暇に入って、またお声がかかるまで遊んで暮らすみたいな生活ができたら楽しいのにな、と思うけれど、しがない会社員はそうも行かない。

忙しいときは当面新しい仕事が受けられないので、「ごめん、来週の金曜までにやるから」と適当に楽観的な先送りにするのだけれど、気づいてみるとあっという間に来週の金曜日になっていて、先方から「なんでやってないのさ、1週間も待ったのに」と苦情が来ることは非常に多い。わかっているんだから最初から「ごめん。やれない。私に頼むんならあさって来てください(丁寧風に)」と言えばよかったんだけれど、仕事はある程度頼まれてなんぼみたいな貧乏性のところがあるので、その時は自分を過信してできるだろうと思って受けてしまう。最近はちょっと趣向を変えて「来週金曜日までにできたらやるけど、その不確実性および遅延が我慢できないようなら最初から誰か他の人に頼んで」とはっきり言うようにしている。

経理なんかもばたばたしているし、来年の不安もつきないし、年度末だなあという感じだ。早くこの1週間がすぎて、新しい年になったら何かが変わるのかと思うんだけれど、根本的なところは変わらないんだろう。とりあえずしばらくは止まらず走るしかないみたいだ。

もうすぐ5年 — 自分とインドと会社の間

インドに来てもうすぐ5年が経つ。3ヶ月前に入社した同僚が「私、もう1年ぐらいいるみたいな気分なんだけど」と嘆いていたけれど、私は見た目とは違ってインドにきてまだ3ヶ月目のような気持ちで今でも暮らしている。未知のことが多すぎる。多面的すぎる。それがインドという国の永遠に飽きない魅力だと思う。インド人がなぜ愛国心が強いのかよくわかる気がする。

(上写真は同僚)

働いている会社も面白い。いつも何かが新しい。5年の間に会社もずいぶん変わって、成長とともに人格を持ちはじめている。上の動画でも話しているけれど、いつのまにか自分自身の成長と会社の成長をどこかシンクロして考えるようになった。あらがいつつも、意図せずして深く会社にコミットしている自分がいる。時間というのはいろんな作用を起こすものだ。

仕事も同じで果てがない。やりこめばやりこむほど、やりたいことが生まれてくる。まだ解決していない山ほどの問題、溜まっているすばらしいアイディアのリスト、提案したい大きなプロジェクト、ないけど必要なスキル、人としての成長。いつも時間だけが足りない。そんな風にして止まらずに走っていたら、5年なんてすぐに経ってしまう。それとはコントラストして、1ヶ月先なんて永遠に見える。そんな時間を生きてきたと思う。

マーケティング部の雑用的なアシスタントとして入ってマネージャーになり、徐々に自由を与えられて、小さいなりに自分が提案したアイディアや計画を形にする面白さを経験したのが最初の3年。働いても働いても数字がついてこなくて苦しかったけれど、5年目になって初めて自分のチームがやった仕事が数字として結果に出る経験をした。自分の仕事の意味や方向性も少しずつだが見えてくるようになった。つらいこともあった気がするけれどあんまり覚えていない。人間関係やらストレスで血管が切れそうになったことは星の数ほどあるけれど、不思議とモチベーションが落ちたことは一度も無かった。

一方で、私はここにずっと落ち着きたいと思ったことも一度も無い。むしろ、そう思ったら終わりなんじゃないかと思っている。なにかに寄りかかったら足を取られる。安心したら鋭敏さとスピードを失う。インドから出て行きたくなったらいつでもさくっと出て行くつもりだし、辞めろといわれれば幸せに辞めて新しい道をいつでも見つけられる。インドと自分、自分と会社、自分と人。それぞれの間にある細い仕切りの上を、平均台演者のように軽々と舞いながら、みんなお互いが正しい距離を保ちながら幸せに成長する道を見つけていきたいものだ。

*ちなみに会社は常時どこかのポジションでスタッフ募集中です。
http://editage.jp/staff/

エブリシング・イズ・ポッシブル


インドで暮らし始めて5年目になるが、その間に主に職場で実によく聞いた言葉に「エブリシング・イズ・ポッシブル(すべては可能なんだ)」がある。インドでよく聞く典型的な言葉として「ノー・プロブレム」、「トゥー・ミニッツ」があるが、それに匹敵する頻度で、何か困ったことが起きたときや不明確な状況で人はよくこの言葉を使う。

Everything is possible.

インド人の同僚や上司、テクニカルスタッフに「これ無理でしょ?」と言うと、「アイ、あのな、すべては可能なんだ。不可能なことなんて何もないんだ」としょっちゅう返されるのである。これまでに多分10人以上の別の人に同じ台詞を言われたと思う。昔はその度に、「そんなわけねえだろ、現になんも可能になってねえじゃねえかよ、適当なこと言うなよおら」と思ってイラッとしていたものだし、心に余裕があるときには、「ああ、これって一種の精神論っていうか励ましなんだろうな」と理解していた。しかし時が経つにつれて、あれれ、どうやらホントらしい、Everything is possible, in a way が世界の真実らしい、と心から信じ始めた自分がいる。

不可能なことなんて何もないのだ。やり方によっては。

私はどちらかと言うと慎重な人間で、ずいぶん最近まで「1000のインプットがあってやっと1の意味のあるアウトプットが出来る」と信じて実践してきた。そんな人生だった。それはそれで真実なんだけれど、インドのベンチャーで働き始めてから、そのやり方は180度変わった。とにかく可能性のあるアイディアを仮説をもとに短いスパンでどんどん実践しなければビジネスが回らない。読んで勉強して調査して考えて98%納得のいく「正しい答え」を見つけてから行動を起こしていたら、おまんまの食い上げになってしまう。だから70%の確証性を見たらパッと走り出して、あとは思い描いたヴィジョンが成功も含めて隅々まで現実になるように突き詰めていく。うちの社長はそれを「ヴィジュアライゼーション」と読んで社員に成功の絵を頭に描くことを奨励している。夢のないところに実現はない、設計図のないところに家は建たない。論理的な精神論、と言えるかもしれない。

逆に、どんなにすばらしい設計図があったとしても、それを現実に出来なければただの夢で終わる。私は物を作るのが好きなので、ささやかながら会社では多少クリエイティヴ系の仕事をまわしてもらっているけれど、私のプロとしての能力は新しいアイディアを出す力に重心があるというよりも、むしろアイディアを形にする力のほうにある。アイディアは誰にでもある。実際、若い世代のどの社員でも、「全く新しいアイディアを10挙げてみろ」と言ったら、誰もがすばらしいアイディアをすらすら挙げるはずだ。少なくとも、ビジネスに飛び込んできて採用されている人たちは、ふつうそこはクリアしている。社内でも一日1つと言っていいぐらい、誰かが今までになかった面白いアイディアを思いつく。

本当の試練は、思い描いたアイディアをそっくりそのまま形にして、思い描いたままの結果をそこから導きだせるかどうかである。それが仕事だ。問題を定義するのも、その問題に解決策を見いだすのもそんなに難しくない。少しの知性とデータ、問題意識があればリストはいくらでも出来る。でも実現するのは簡単ではない。資金、リソース、そして時間。人やシステムが絡んだ複雑系への対応とコーディネーション。自分一人で出来る簡単なプロジェクト(例えばバナーのデザインをちょっと変えるとか)ですら、ほんの1ミリの妥協が失敗につながる。アイディアを思いついたときの、ババーン!と成功のイメージがわき上がたときの興奮と、出来上がったプロダクトを見たときの感動が寸分違わず同じかそれ以上でなければならないんだけれど、仕事の準備やコーディネーションでほんのわずかな妥協を重ねるうちに何かが軌道を外れてしまう。ずれそうになる軌道にギュッと戻って最後まで緊張感を持って走れるかどうか。ヴィジョンを最後まで守れるかどうか、そういう力がプロジェクトマネジメントには要求される。

一見、実現不可能にみえる物事をいろいろな角度から眺めて「このやり方ならいける」という切り口を見つけること。「やる」を前提にしてものを考えること。そういうポジティヴさと臨機応変な力が、長いボンベイでのインド企業社員生活で得た、私の最大の収穫だと思う。スティーヴ・ジョブズの “the reality distortion field” じゃないけれど、私もそんな現実歪曲フィールドを持った人になりたいものだ。まだまだ序の口だけれど、ちょっとこのまま探求していこうと思う。

マッキントッシュ・コンピュータ

MacBookProを購入した。今年もあと残すところ1ヶ月半。車も買ったし、大きな買い物をたくさんした年であった。4年半前にインドに来たときに持ってきた東芝がモンスーンでストライキを起こしたので引退していただいて、インドで買ったコンパックの最強コンピュータでこれまでがんばってきた。しかしこの数ヶ月の間にYouTubeすらまともに再生できないぐらいスピードダウンしてしまった。

インドではスマホといえばBlackBerryで、iPhoneを持っている人はほとんどいない。一度だけ空港のアメリカに向かう飛行機の待ち合いルームでお金持ちそうなインド人の女の子が持っているのをみて衝撃を受けたけれど、それがインドでアクティヴなiPhoneをみた最初で最後である。でもここ数ヶ月の間にiPadなどのタブレットPCとMacBookAirの世界的人気と、インドの悪徳大資本RelianceがAppleの販売権を獲得して全国的にApple製品を推し始めたことで、にわかにマックが買いやすい環境になった。

ジョブズ亡き後のりんごちゃんを応援すべく・・・というのは後付けで、仕事とプライベート半々でハイスペックなコンピュータが必要になったので、ウィンからマックへの乗り換えブームに自分もここで乗ってみることにした。マーケッターとして今のリンゴ的世界観やデザイン標準にもちょっと首を突っ込んでおきたいなと思っていたので、いいチャンスである。

ちなみに、私は長年Windows95のファンであった。高校生のときに両親が購入した富士通の95が私にとってのコンピュータの元型だ。95はよかった。10万円の札束を握りしめて名古屋の大須に行って、最新のマザーボードからディスク、さまざまな部品を買い集めて、安いケースと一緒にずるずる引きずって地元の町に持ち帰り、自分でWinパソコンを組み立てて使っていた。95を自作PCにインストールして使えるのを確認したときの感動といったらなかった。調子がおかしくなったりアップグレードが必要なときにドライバーでパソコンの蓋をバカッと開けて、部品をはめ込んだりつないだりするのが楽しかった。ネットワークについても一時はとにかく面白くて日経のネットワーク系マガジンを購読して熱心に勉強して、小規模イントラネットは自分で作れるようになったこともあったけれど、今はもう高校の数学と同じで残念ながら全く覚えていない。

それも今は昔の話だ。マッキントッシュに乗り換えるのにはちょっと資金と勇気が必要だったけれど、乗り換えてみたらユーザーフレンドリーでものすごく使いやすい。Windowsのキーボードショートカットに慣れているとキーボードに慣れるのにだいたい1週間ぐらいかかるけれど、使い分けも慣れればなんてことはない。時々会社のWinコンピュータを使っていてコマンドキーを探してしまうぐらいである。昔はマックはマニア向けと言われていたけれど、時代は変わったらしい。Apple製品やソフトはむしろ超一般ユーザー向けにできていて、猿でも使えるぐらい直感的だ。楽だし気持ちいいし、楽しい。

私は学部時代から大学院生時代にわりと長い間コンピュータ教室の講師としてMicrosoft Officeの指導をしていて、Windowsのややこしいフォルダの概念と管理で苦労する初心者をたくさん観てきた。Windowsは何気にデータのロケーションや階層構造をメタレベルで理解できるスキーマがないとアプリケーションがうまく使えない。若い人や子供は飲み込みが早いから無意識にそのスキーマがつくのだけれど、年配の人がWindowsを経験的に理解するのは実はとても難しい。それでも、平均的な一般ユーザーにとっては、たとえ評判が悪かろうと、OSはWindowsに始まりWindowsに終わる、と思っていた。

マックに乗り換えてみた感想として、今度年配の人に「生まれて初めてパソコンを始めたいんだけれどどれを買ったらいい?」と聞かれたらマックを勧めてもいいなと思う。長年仕事でWindowsを使ってきた年配の人には勧めないけれど、初めてパソコンを使うという人には多分なじみやすいんじゃないだろうか。おじいちゃんおばあちゃんにも勧めたい、Apple、学ぶところの多い企業である。

5年目のディワリ

待ちに待ったシャールク・カーンのディワリ映画「RA・ONE」を観て私の今年のディワリももう締めである。去年はまともな大型ディワリ映画が公開されなかったので、仕方なく家でシャールクの「Om Shanti Om」のDVDを観てすごしたけれど、今年は劇場だ。そう、これじゃなくちゃいけない。ピュア・エンターテインメント、「いよっ、成田屋ぁ~っ!」である。ディワリ飾りと電飾できらきらしい街もオフィスもご近所さんの窓も毎年同じ。私も倣って玄関のドアにランタン(ディア)を飾って、髪を短く切って新年の静かなお祝いをした。ディワリショッピングで買った新しいネットブックでこのブログを書いている。わるくない。これで5年目。

日本から離れてもうずいぶんたつ。私は1年に1度の休暇のときに10日ほどまとめて日本に帰るだけなので、この5年間で日本にいた時期は合計で1ヶ月ちょっとぐらいしかない。日本の情報は入ってくるけれど、変わり行く日本の空気や精神文化からは完全に浦島太郎状態である。反対に、インドのやり方には体の隅々まで慣れきってしまったので、当たり前すぎてもう逆に文化差を感じない。会社でも「おまえはインドに長くいすぎた。日本人の感覚をちょっと取り戻してこい」と言われる始末である。

この1年を振り返ると、引越しやネズミの駆除や配置換え、自動車の免許取得など、けっこういろんなイベントがあったけれど、そんなトラブルもまた日常となりつつある。ケ・セラ・セラ。

インドは5年で急速に変わった。ランチの値段が2倍になり、ケータイやケーブルテレビ、インターネットのプランが競争化し、ファンシーなレストランやコーヒーショップが増え、小さな商店や古い日用品スーパーが高級モールに食われて潰れていく。以前のボンベイにあった、急激な経済成長と消費文化の興隆を祝うハレの雰囲気はずいぶんと落ち着いて、胸のわくわくする時代は減速しつつあるように感じる。「家庭で初めての車」はエキサイティングだけれど、一度買ってしまえば後はグレードを上げるか数を増やすだけだから。それでもまだ、おそらくは日本と比べ物にならないぐらい人は明るく、世界がよい方向に向かっているという信念と希望に満ちている。

2年目3年目4年目、どの年を振り返っても、私はいつも未来について語ることを避けてきた。「答えを出さないこと」が、生きる方針ですらあった。興味の赴くままに、心のままに行動して、結果たどりつく場所を答えとしたかった。将来の夢も、目標もいらない。その瞬間にいつも全力を出していれば、スキルや力は自然とついてくるし、人との関係もできるし、思想もそなわってくる。それがおのずと自分を新しい場所に連れて行く。その考え方は今でも少しも変わらない。それでも、インドがその盲目的疾走のスピードを少しだけ緩めつつあるように、私もまた少しスタミナがついて余裕が出てきて、スピードを軽く落として自分の静かな呼吸を数えながら、ふむ、果たして自分は今どこに向かって走っているんだろうな、と考えはじめている。

取れ高主義の今の生活もいいけれど、そろそろ少し、未来の夢を見てみようか。

5年目。私がここで何をしているのか?いまだ答えはわからない。でも、問いは持ち続けていようと思う。なぜここにいるのか、何をしているのか、どこへ向かおうとしているのか。正しい答えがあるかどうかは知らない。たぶん答えなんてないだろう。それでも暫定的な仮説を立てては、それを毎日棄却し、再考し、修正し、新しく立て直しながら、どちらかわからない前に向かって進んでいこうと思う。さあ、考えよう。

ポーキング・フィンガー

人生における最良の薬は、旅に出たり、別の土地に一時移ることかもしれない。一人で暮らしていても、家族と暮らしていても。

旅でなくてもいい。いつもと違う場所に散歩に出たり、新しいカメラを買ったり、読んだことのない作家の本を読んだり、知らないことを勉強したり、新しい人と出会って話をしたり。自分を未知の中に放り出すこと。そして、自分のことは忘れて、自分を囲む周りの世界や対象が、自分以外のものがどうなっているかに注意を注ぐのだ。

見慣れたもの、見慣れたリアクション、考え事をしながらでも歩ける通勤路、努力しなくてもうまくできる仕事、コンフリクト回避の方法を知り尽くした関係性。その中に漬かりきっていると、自分にだんだん興味が向いていく。自分がどう感じるのか、何を考えるのか、どう見えているのか、何を望んでいるのか。幸せなのか、不幸せなのか。自分という人間を探求することが人生の中心になっていく。何を成し遂げたか、何を生み出したか、どこまで深く広く成長できたか。

そんなことはどうだっていい。自分が何者になれたかなんてたいした意味はないし、自分の心なんてたいしたものじゃない。ただ無心に周りの世界を観察して、心に自分以外のものをいっぱいに詰め込んで生きられる、からっぽの人間になれたらどんなにすばらしいかわからない。だから、私はできるかぎり自分については深く考えないようにしている。自分について思い悩みそうになるときは、目の前のコップについて考える。私が望む自分になったところで、世界が今より面白くなるわけでもないのだから。

ボンベイの歩道を歩いていて、道に座っている牛を指でつついたことがある。あんまり無警戒に寝ているから、つついたら起きるかどうか試してみたかったのだが、ぴっと人差し指で牛の背中に触ったら牛は起きるし牛使いが怒鳴りながら追いかけてくるしで結構大騒ぎになってしまい、謝りながら走って逃げたのだった。

まあいいことばかりがあるわけではないし、いいものばかりを見るわけでもない。叱られることもしょっちゅうだ。でもできるなら、いつでもどこでも、そんなポーキングフィンガー的存在でありたいと思う。好奇心のままに、どんな反応が来るか想像がつかないものの前に立って、ちょっとどきどきしながら人差し指でつついて回りたい。善悪や倫理、ルール、感情の壁や許容範囲を超えて、俯瞰でなく、指が届く距離から、周りの世界を面白く眺めては波紋を作りたい。

一人暮らしのオレンジジュース

一人で暮らしていて難しいのは、野菜やパンを買う量と洗濯のタイミングだ。私はだいたい1週間に1回、マーケットに行って適当に野菜とパンを買いためておくのだが、どうしても買いすぎた分を腐らせてしまう。オクラを500グラムと、トマトを500グラム、かぼちゃを4分の1と、うりを1本と、たまねぎ、じゃがいも、にんじん、ほうれんそう。それにパンを1斤。日曜日に買い物をして、しばらくは張り切って料理をするものの、週中になると仕事で疲れてだんだんめんどうくさくなって外食をしたりしてしまい、土曜日に賞味期限の切れたパンやしなびた野菜をゴミ箱にまとめて捨てるやるせない生活である。

うーん、悩ましい。

私はあらゆる意味でアン・オーガナイズド人間なので、冷蔵庫なんかあっという間に食べかけの食品でいっぱいになってしまう。かじりかけのりんご、半分食べたビリヤニ、作り置きしておいたカレーや炊きすぎたご飯、夜中にちぎってたべたパンのかけら、チョコレートの3分の1。インドの夏は冷蔵庫にいれておいても停電のせいなのかなんなのかものが腐りやすいから、2、3日忘れてしまうともう危なくて食べられない。もったいないったらありゃしない。食べきれない分を買ったり作らなければいいんだけれど、まとめて作れば後が楽だし、まとめて買わないと忙しくて買い物に行けないときに食生活が荒んでしまう。生活って難しい。

うちの洗濯機は二層式の上に水道につながっていないので、服を洗うときには水が来ているときに(水は一日に2回、早朝と夕方しか来ない)お風呂場から洗面器に水を汲んでせっせと10回ぐらい運ばないといけない。重いし面倒だし、そんなこと元気じゃないとできない。というわけで、毎日手洗いで洗濯をしているんだけれど、疲れているとこれもできない。お風呂に入るだけで精一杯で、そのまま床にぶっ倒れて朝まで眠ってしまうことも多い。手洗いしてない洗濯物が2日もたまるともう面倒になって、「まあいいや、週末にまとめて洗おう」と思っていると週末は朝起きられないし、夜は遊びにでかけていていないしで、ついつい洗濯の機会を逃してしまう。気づいてみると着るものがなくて、仕方なくジムTシャツで会社に行ったりしてしまうこともある。

暮らすって大変だなあ、と思う。

それのどこが大変なんだ、単なる怠け者のたわごとじゃないか、と全国の主婦の皆さんは思っているかもしれない。おっしゃるとおりだ。でもひとつ言わせてもらえば、一人で暮らすっていうことは、自分ひとりなんてどうにでもなるじゃん、どうでもいいじゃん、と自暴自棄になりそうな自分をぐっと押しとどめて、明日はいていくパンツのために寝そべって床に張り付いちゃった体をもう一度ぐっと持ち上げて、洗濯石鹸と洗面器を手に取り立ち上がる勇気ある行為なのだ。自分の健康のために野菜たっぷりのおいしい炊き込みご飯や煮物を作ったり、貧血気味のときにレバーを買ってきて炒めたり。寝る前に快眠ヨガをしたり。「明日のためにそのイチ!」と叫んでストイックに立ち上がる。丹下段平と矢吹丈を一人二役でこなすかのように。大げさか?

何もかもやりたくないとき、私はただオレンジジュースだけは冷蔵庫に買いためておく。朝ごはんが作れないとき、食事が偏ったとき、風邪を引きそうなとき、甘いものを食べたいけれど買いに行くのが面倒なとき、ただ買っておいたオレンジジュースをひたすら飲む。おいしいし、ビタミンも取れそうだし、色もかわいいし、とりあえずなにもかもできなくても、きちんと生きている気になるからいいのだ。そんな風に自分を許し許して楽に生きていくのが一番いいのだ。

ガネーシャ祭とフラット化

ガネーシャ祭が今年もやってきた。9月の最初の週になると、ガネーシャ様は文字通り「やってくる」。家庭ごと、町内ごとに、海の向こうの河岸から1年に1回帰ってくるガネーシャの像をはりぼての社に飾ってお参りするのである。休日にはガネーシャの前で町内の人たちが集まって、カラオケ大会やダンス大会、子供のためのお絵かき大会など、さまざまな行事が繰り広げられる。お参りに行くと小さなお菓子やバナナをくれる。お盆と「弘法さん」が混ざったみたいな感じ、といえばわかっていただけるだろうか。

インドの中流以上の人たちの間にはここのところ「いわゆるインドの派手派手伝統行事的なものにちょっとさすがに飽きてきちゃったんだよね」という風潮があるようだ。たとえば独立記念日なんかは、数年前なら会社でも社員みんなで国歌のジャナ・ガナ・マナを歌ったりしたほど盛り上がっていたけれど、今はだれも「ハッピーインディペンデンスデイ!」とかもう言わないのである。「はいはい、独立記念日ね。昔は興奮したけどね。今はインドもけっこう発展しちゃったし、イギリスからの独立を誇りに思うほどイギリスがぱっとしないし、もうどうなんだろうな」ということらしい。時代は急速に変わりつつあるのだ。ふーむ。

てなわけで、もちろんガネーシャ祭は毎年恒例で一応盛り上がってはいるんだけれど、フェイスブックのインド人フレンドのコメントなんかを見ていると、「つーか、ガネーシャパレードうるっせーんだよ。ああ道で踊ってるあいつらを殴りてえ」という話で盛り上がっていたりする。私としては、そうか、なんだよ、あんたたちもうるさいと思ってたのね、夜中のあの騒ぎを騒音と感じる感覚は国民性とは関係ないのね、という感じである。私の住むヴァシの町でも、夜10時以降は祭りのパレードで爆竹や太鼓や音楽などの音を出してはいけないという新しい法律ができて、それが意外ときちんと守られている。外国人在住者としては、ごもっともなような少し寂しいような複雑な気持ちだ。

私は年中行事のようなものやお祭りは好きなほうである。なんというんだろうか、お正月とかお盆とか地域のお祭りは心をほっとさせる。変わることなく繰り返す季節や、移ろい行く不安定な人生の中で不易なものを求めるという意味で、不和や葛藤や苦痛はあっても家族や土地とのつながりを確かめるという意味で、こういう行事にはいつも心惹かれているのだった。私の両親はかなりリベラルな人たちで、いわゆる「慣わし」をめんどくさがって嫌う傾向にあったのだが、たとえば大晦日の夜に「今年はコメディショーを観よう」と誰かが言い出すと「大晦日にレコ大と紅白とゆく年くる年を見ないなんて非国民か!」と怒るのは子供の私の役であった。寂しがりやの性格なんだろう。

インドで暮らしていると文化的な慣わしが星の数ほどある。結婚式の数々の不思議な習慣も、このあいだ終わったラマダンの断食明けのごちそうのおいしさも、ガネーシャを海に流す祭の最後の夜も、ホーリーのどろどろの子供たちや浄化のための大きな焚き火も、私は大好きだ。たとえその文化に自分が含まれていなくても、心からは理解していなくても、慣わしが存在する理由はどの土地でも同じなんだと思う。つながりなのだ。季節から季節へのつながり、世代から世代へのつながり、家族と家族とのつながり。日本では一度失われたつながりを必死で今とりもどそうとしているのだから。だからまあ、どんなに騒音がすごくて頭ががんがんしても、べつに「殴りてぇ」とは思わない。どんどんやってほしい。インドが西洋化するのも、効率化するのも、フラット化するのもある部分では歓迎するけれど、それは別として、インドの家族やコミュニティはそのうざったいけど暖かい機能をいつまでも失わないでほしいと思う。

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