もうすぐ5年 — 自分とインドと会社の間
10 Mar 2012 Leave a Comment
インドに来てもうすぐ5年が経つ。3ヶ月前に入社した同僚が「私、もう1年ぐらいいるみたいな気分なんだけど」と嘆いていたけれど、私は見た目とは違ってインドにきてまだ3ヶ月目のような気持ちで今でも暮らしている。未知のことが多すぎる。多面的すぎる。それがインドという国の永遠に飽きない魅力だと思う。インド人がなぜ愛国心が強いのかよくわかる気がする。
(上写真は同僚)
働いている会社も面白い。いつも何かが新しい。5年の間に会社もずいぶん変わって、成長とともに人格を持ちはじめている。上の動画でも話しているけれど、いつのまにか自分自身の成長と会社の成長をどこかシンクロして考えるようになった。あらがいつつも、意図せずして深く会社にコミットしている自分がいる。時間というのはいろんな作用を起こすものだ。
仕事も同じで果てがない。やりこめばやりこむほど、やりたいことが生まれてくる。まだ解決していない山ほどの問題、溜まっているすばらしいアイディアのリスト、提案したい大きなプロジェクト、ないけど必要なスキル、人としての成長。いつも時間だけが足りない。そんな風にして止まらずに走っていたら、5年なんてすぐに経ってしまう。それとはコントラストして、1ヶ月先なんて永遠に見える。そんな時間を生きてきたと思う。
マーケティング部の雑用的なアシスタントとして入ってマネージャーになり、徐々に自由を与えられて、小さいなりに自分が提案したアイディアや計画を形にする面白さを経験したのが最初の3年。働いても働いても数字がついてこなくて苦しかったけれど、5年目になって初めて自分のチームがやった仕事が数字として結果に出る経験をした。自分の仕事の意味や方向性も少しずつだが見えてくるようになった。つらいこともあった気がするけれどあんまり覚えていない。人間関係やらストレスで血管が切れそうになったことは星の数ほどあるけれど、不思議とモチベーションが落ちたことは一度も無かった。
一方で、私はここにずっと落ち着きたいと思ったことも一度も無い。むしろ、そう思ったら終わりなんじゃないかと思っている。なにかに寄りかかったら足を取られる。安心したら鋭敏さとスピードを失う。インドから出て行きたくなったらいつでもさくっと出て行くつもりだし、辞めろといわれれば幸せに辞めて新しい道をいつでも見つけられる。インドと自分、自分と会社、自分と人。それぞれの間にある細い仕切りの上を、平均台演者のように軽々と舞いながら、みんなお互いが正しい距離を保ちながら幸せに成長する道を見つけていきたいものだ。
*ちなみに会社は常時どこかのポジションでスタッフ募集中です。
http://editage.jp/staff/
5年目のディワリ
31 Oct 2011 Leave a Comment
待ちに待ったシャールク・カーンのディワリ映画「RA・ONE」を観て私の今年のディワリももう締めである。去年はまともな大型ディワリ映画が公開されなかったので、仕方なく家でシャールクの「Om Shanti Om」のDVDを観てすごしたけれど、今年は劇場だ。そう、これじゃなくちゃいけない。ピュア・エンターテインメント、「いよっ、成田屋ぁ~っ!」である。ディワリ飾りと電飾できらきらしい街もオフィスもご近所さんの窓も毎年同じ。私も倣って玄関のドアにランタン(ディア)を飾って、髪を短く切って新年の静かなお祝いをした。ディワリショッピングで買った新しいネットブックでこのブログを書いている。わるくない。これで5年目。
日本から離れてもうずいぶんたつ。私は1年に1度の休暇のときに10日ほどまとめて日本に帰るだけなので、この5年間で日本にいた時期は合計で1ヶ月ちょっとぐらいしかない。日本の情報は入ってくるけれど、変わり行く日本の空気や精神文化からは完全に浦島太郎状態である。反対に、インドのやり方には体の隅々まで慣れきってしまったので、当たり前すぎてもう逆に文化差を感じない。会社でも「おまえはインドに長くいすぎた。日本人の感覚をちょっと取り戻してこい」と言われる始末である。
この1年を振り返ると、引越しやネズミの駆除や配置換え、自動車の免許取得など、けっこういろんなイベントがあったけれど、そんなトラブルもまた日常となりつつある。ケ・セラ・セラ。
インドは5年で急速に変わった。ランチの値段が2倍になり、ケータイやケーブルテレビ、インターネットのプランが競争化し、ファンシーなレストランやコーヒーショップが増え、小さな商店や古い日用品スーパーが高級モールに食われて潰れていく。以前のボンベイにあった、急激な経済成長と消費文化の興隆を祝うハレの雰囲気はずいぶんと落ち着いて、胸のわくわくする時代は減速しつつあるように感じる。「家庭で初めての車」はエキサイティングだけれど、一度買ってしまえば後はグレードを上げるか数を増やすだけだから。それでもまだ、おそらくは日本と比べ物にならないぐらい人は明るく、世界がよい方向に向かっているという信念と希望に満ちている。
2年目、3年目、4年目、どの年を振り返っても、私はいつも未来について語ることを避けてきた。「答えを出さないこと」が、生きる方針ですらあった。興味の赴くままに、心のままに行動して、結果たどりつく場所を答えとしたかった。将来の夢も、目標もいらない。その瞬間にいつも全力を出していれば、スキルや力は自然とついてくるし、人との関係もできるし、思想もそなわってくる。それがおのずと自分を新しい場所に連れて行く。その考え方は今でも少しも変わらない。それでも、インドがその盲目的疾走のスピードを少しだけ緩めつつあるように、私もまた少しスタミナがついて余裕が出てきて、スピードを軽く落として自分の静かな呼吸を数えながら、ふむ、果たして自分は今どこに向かって走っているんだろうな、と考えはじめている。
取れ高主義の今の生活もいいけれど、そろそろ少し、未来の夢を見てみようか。
5年目。私がここで何をしているのか?いまだ答えはわからない。でも、問いは持ち続けていようと思う。なぜここにいるのか、何をしているのか、どこへ向かおうとしているのか。正しい答えがあるかどうかは知らない。たぶん答えなんてないだろう。それでも暫定的な仮説を立てては、それを毎日棄却し、再考し、修正し、新しく立て直しながら、どちらかわからない前に向かって進んでいこうと思う。さあ、考えよう。
ガネーシャ祭とフラット化
06 Sep 2011 9 Comments
ガネーシャ祭が今年もやってきた。9月の最初の週になると、ガネーシャ様は文字通り「やってくる」。家庭ごと、町内ごとに、海の向こうの河岸から1年に1回帰ってくるガネーシャの像をはりぼての社に飾ってお参りするのである。休日にはガネーシャの前で町内の人たちが集まって、カラオケ大会やダンス大会、子供のためのお絵かき大会など、さまざまな行事が繰り広げられる。お参りに行くと小さなお菓子やバナナをくれる。お盆と「弘法さん」が混ざったみたいな感じ、といえばわかっていただけるだろうか。
インドの中流以上の人たちの間にはここのところ「いわゆるインドの派手派手伝統行事的なものにちょっとさすがに飽きてきちゃったんだよね」という風潮があるようだ。たとえば独立記念日なんかは、数年前なら会社でも社員みんなで国歌のジャナ・ガナ・マナを歌ったりしたほど盛り上がっていたけれど、今はだれも「ハッピーインディペンデンスデイ!」とかもう言わないのである。「はいはい、独立記念日ね。昔は興奮したけどね。今はインドもけっこう発展しちゃったし、イギリスからの独立を誇りに思うほどイギリスがぱっとしないし、もうどうなんだろうな」ということらしい。時代は急速に変わりつつあるのだ。ふーむ。
てなわけで、もちろんガネーシャ祭は毎年恒例で一応盛り上がってはいるんだけれど、フェイスブックのインド人フレンドのコメントなんかを見ていると、「つーか、ガネーシャパレードうるっせーんだよ。ああ道で踊ってるあいつらを殴りてえ」という話で盛り上がっていたりする。私としては、そうか、なんだよ、あんたたちもうるさいと思ってたのね、夜中のあの騒ぎを騒音と感じる感覚は国民性とは関係ないのね、という感じである。私の住むヴァシの町でも、夜10時以降は祭りのパレードで爆竹や太鼓や音楽などの音を出してはいけないという新しい法律ができて、それが意外ときちんと守られている。外国人在住者としては、ごもっともなような少し寂しいような複雑な気持ちだ。
私は年中行事のようなものやお祭りは好きなほうである。なんというんだろうか、お正月とかお盆とか地域のお祭りは心をほっとさせる。変わることなく繰り返す季節や、移ろい行く不安定な人生の中で不易なものを求めるという意味で、不和や葛藤や苦痛はあっても家族や土地とのつながりを確かめるという意味で、こういう行事にはいつも心惹かれているのだった。私の両親はかなりリベラルな人たちで、いわゆる「慣わし」をめんどくさがって嫌う傾向にあったのだが、たとえば大晦日の夜に「今年はコメディショーを観よう」と誰かが言い出すと「大晦日にレコ大と紅白とゆく年くる年を見ないなんて非国民か!」と怒るのは子供の私の役であった。寂しがりやの性格なんだろう。
インドで暮らしていると文化的な慣わしが星の数ほどある。結婚式の数々の不思議な習慣も、このあいだ終わったラマダンの断食明けのごちそうのおいしさも、ガネーシャを海に流す祭の最後の夜も、ホーリーのどろどろの子供たちや浄化のための大きな焚き火も、私は大好きだ。たとえその文化に自分が含まれていなくても、心からは理解していなくても、慣わしが存在する理由はどの土地でも同じなんだと思う。つながりなのだ。季節から季節へのつながり、世代から世代へのつながり、家族と家族とのつながり。日本では一度失われたつながりを必死で今とりもどそうとしているのだから。だからまあ、どんなに騒音がすごくて頭ががんがんしても、べつに「殴りてぇ」とは思わない。どんどんやってほしい。インドが西洋化するのも、効率化するのも、フラット化するのもある部分では歓迎するけれど、それは別として、インドの家族やコミュニティはそのうざったいけど暖かい機能をいつまでも失わないでほしいと思う。
インドのモンスーン的精神性
12 Jun 2011 Leave a Comment
さあ、今年もモンスーンがやってきた。毎日朝から夜までざあざあ雨が降っている。静かに降っていたと思ったらどしゃ降りになったり、また音がやんで静かな雨に戻ったり。「どどどどどっ」という雨の音がしてくると、傘を持った子どもたちが空き地に飛び出してきてきゃあきゃあ声を上げながら雨と遊んで、びっしょりに濡れては部屋に戻っていく。うん、今年のモンスーンもちゃんとモンスーンだな、となんだかほっとする。
村上春樹さんがカタルーニャ国際賞のスピーチで、日本には無常という言葉があり、過ぎ去り失われていくものを愛でる精神性がある、とおっしゃっていたけれど、それに比べてインドの季節感と精神性はかなり違ったものかもしれない。11月以降、7ヶ月も続く長い長い乾季がやってくる。緑は枯れ、多くの木はは葉が落ちたり茶色になり、赤いからからした土地肌が見える。空気がほこりっぽく人間の肌も乾燥してくる。2月の終わりから徐々に乾いた夏が始まり、ボンベイは日中外にいたら耐えられないほどの暑さになる。しかし、その灼熱がピークに達した6月に、どばばばば~っと雨の季節が怒涛のように始まるのである。
雨が降り始めて2週間ほどたつと、道路わきの木のサイズが変わっていることに気づく。近道に使っていた線路や土手沿いの小道が背丈ぐらいまでに延びた黄緑色の雑草で覆われて埋まっているのに気づく。「おお~元気だねぇ、育ったねえぇ」とつぶやいて大回りをする。犬が大きな水溜りの中に体を沈めて水浴びをしている。びしょびしょに服をぬらした人たちが誇らしそうに笑って雨宿りをしている。1ヶ月もすると、長く続く湿気で虫やネズミやカビやカエルやハエやいろんな有機的なものが大発生して生き物大合唱的な世界に突入する。
そんなふうに、インドの季節はいわば乾季と雨季の大きな循環が生と死の循環と対応するようにして成り立っている。強引に解釈するならば、インドの人たちの驚くべき気長さと忍耐力の強さ、苦難や苦境に動じないポジティヴさは、この「戻ってくる」2つの季節の安定したサイクルがもたらしたものではないのか、とモンスーンの始まりに人も動物も植物もみんなが喜んでいる姿を見るたびに思う。
日本では一つ一つの季節の終わりと始まりの静けさのためか、確かに去るものを愛でる精神が来るものを祝う精神にちょっとだけ勝っている気がしないでもない。ところがインドに住んでいると、雨季の終わりには「あーもう雨、そろそろいいかげんにしろー」と思うし、乾季の終わりには「暑いーこのままじゃ死ぬー、殺す気かー」とうんざりするので、はっきり言って移ろいゆくもの去るものを惜しむ気持ちは皆無である。こういうセンチメンタリズムやメランコリーがないさわやかさが、私がインドの気候と精神性を好きな理由の一つである。
とはいえ、雨に濡れるのが面倒で週末に家にこもって映画を見たり、一人で酒を飲んで本を読んだりごろごろしていたりすると、さすがに私もちょっと普段よりも内向的になって、気持ちも暗くなってくる。曇り空のせいで部屋も暗いし、もの悲しくて脈絡なく寂しく、先が見えないような、ちょっと不安な気持ちになることもある。おそらく雨の涼しさのおかげで毎日快適快眠なせいもあるかもしれない。存在の悩みというのは、隙間のある心にしのびよってくるものだ。ボンベイで暮らしていると、「暑い、うるさい、忙しい、貧乏、ネズミ、停電、断水、ネット止まった、冷蔵庫止まってパンが腐った、レジにおつりない、リキシャ乗車拒否、電車来ない、ATMからお金が出てこない」などの生活のささいな苦難で頭がいっぱいであんまり悩んでいる暇がないのだが、雨季の始まりにはちょっと自分を振り返るような余裕ができるのかもしれない。
まだ始まって2週間。さわやかでいい。今、雨を避けて隙間から入ってくる羽アリやネズミさんたちが増えてきて、徐々に家がカビくさくなってきているので、この静かで内省的な気持ちもそのうちぶっとんでしまうだろうから、まあ、この間だけでも雨の憂いを味わっておこうと思う。
クリケットカップ!
27 Feb 2011 Leave a Comment
先週末、会社で毎年恒例のクリケットマッチに参戦してきた。クリケットは日本人にはまったくなじみがないので、存在すら知らない人も多いスポーツだけれど、インドを含む英国コロニー系の国々ではメジャースポーツの一つで、インドで言えばはっきりいって「唯一の」メジャースポーツである。
ルールは簡単に言えばホームベースとセカンドベースの2つしかない野球みたいなもんである。打者兼ランナーは各ベースに一人ずつ立っている。ピッチャーがボールを投げてバッターが打ったら、守りがボールを戻してくる間にランナーがその2つのベース(のようなもの)の間を行ったりきたりして走る。その「ラン」の回数と、ボールが飛んだ範囲によってスコアが加算されていく。だいたいそんなかんじのやつである。
今年のカップは特に本格的で、会社の重役一人一人をチームオーナーに置いて6チームも結成された。イントラネット上でチーム同士が意気込みを語り合う掲示板やら、「どのチームをサポートするか」というポールまで立てられ、人気のないチームの若い子がオフィス中を回って「おねがいだから僕のチームに投票してくれ」と頼んで回っていたり。社内の電子掲示板にはカップまでの2週間、常にチーム編成表が表示されているわ、会議室を陣取ってチーム会議を開くわ、「秘密の特訓」と称して会社帰りにグラウンドで練習するわ、えらいこっちゃであった。
私は最近仕事に忙殺されていたせいでメンバー登録から外れてしまい、観客/自称カメラマンとして参加した。選手たちが早朝6時のバスで競技場まで行っている間はぐうぐう寝ていて、昼すぎに起きてふらふらと遊びに行ったら、ちょうど準決勝チームを決める試合で白熱の大盛り上がり中であった。各チーム、会社が用意した各チーム色ちがいの本格的なおそろいのクリケットウエアを着ている。点数で叫ぶわもめるわで、私がついたときにはみんな声ががらがらの状態。
写真を撮って回ったり観客席で遊んでいると、次の試合開始前にいきなり「ライオンハート・チーム、メンバー欠場でアイカノウが代わりに出場となります。アイカノウはグラウンドに出てください」というアナウンスが。「アイ、呼ばれたぞ、行け!」と周りの人に言われてわけがわからずグラウンドに出る。確かにオフィスで「ああ、メンバーに選ばれなかった~」と人事のお姉さんに文句を言ったのは言ったんだけど、急に交代メンバーにされることがあるとは思わず、その日は完全になめきったヒールサンダルで来ていたので「そういうことは先に言っといてくれよな」とぶつぶつ言いつつ、呼ばれてしまったからにはしょうがないので裸足で参戦。
ちなみに、ご存知ない方に説明しておくと、インド人のあらゆるゲームに勝ちたい情熱は半端ではない。「なぞなぞ」ですら決死の戦いの風情になる人たちである。それがクリケットときたらもうそのオーバーヒート具合は際限がない。「参加することに意義がある」とか「初心者にも1回ぐらいバッターボックスに立たせてやろう」なんて中途半端な同情は持ち合わせてない。だからまあ途中で参戦といっても人数あわせなだけで、私のような運動おんちはキャプテンに「アイ、もっと離れたところに立って!」と叫ばれてあんまりボールのこない位置に行かされるだけである。
私なんかは「あーお願いだからこっち向きに打ってくれるなよ」と祈っているぐらいだから、それでぜんぜんありがたいのだが、若い日本人や韓国人の男子外国人スタッフたちは、花形ポジションを回してもらえずずいぶん残念そうであった。まあがっかりだろうなー、チャンスぐらいあげればいいのに、とは思うけれど、ルールがわかってない初心者にかっ飛ばされては困るという熟練インド人選手の気持ちもわからないではない。若いインド人グループとつきあっていると、よくこういう本人たちが100%楽しみたいがために、のりがわかってない人を軽くのけものにするという内輪的状況をよく経験するもんなのだ。
結果は私が飛び入り参加した社長チームが優勝。飛び入りでユニフォームも着ずに出たのに優勝トロフィーをもらっている私に、早朝練習に出たり準備に忙しかったほかのチームの人たちは「なぜにあなたが?」と首をかしげていたけれど、ジェントルマンで繊細な社長は、「君にやるよ」といって自分が着ていたユニフォームを脱いでプレゼントしてくれた。いい人である。上司は「こりゃ、明日の月曜日はみんな疲れきってて誰も仕事できないんじゃないのか?」と心配していた。
案の定、翌日からは朝から遅刻する人やら、筋肉痛で一日中「全身が痛い・・・・」とうなっている人やら、体が痛くて休んでいる人やら、机に突っ伏している人やらで、会社はやや戦場病院のような空気であった。クリケットがそんなにエキサイティングなスポーツだとはいまだにあんまり思わないし、球技とチームスポーツは私が人生で苦手とするものの3位には入っているけれど、まあ1年に1回ぐらいプレイしてもいいじゃないか。なかなか楽しかった。
カラ・ゴーダ・アートフェスティバル
06 Feb 2011 3 Comments
世に知られているか知られていないかわからないのだが、ボンベイはアーティストが多い街である。有名なアートスクールが多くあり、ダウンタウンに行くと必ず美術館やギャラリーでアート・エキジビジョンが行われている。金曜日にボンベイ・タイムズのエンターテインメント欄を広げて、趣味に合いそうな絵や彫刻の個展を土日にチェックしがてらボンベイでお茶を飲んでくる、というのがわりと一般的な文系アウトドア派の休日の過ごし方かもしれない。
休日の午後に電車に乗っていると、スケッチブックやカメラを構えた個性的なファッションの若い学生さんたちに出会うことも多い。私はこういうアート系ムンバイカーたちを見るのが大好きである。彼らは保守かつローカル性の強いインドの社会のなかで一見アウトローに見えても、インド的な気品から決して外れようとしていない。多くのアーティストがインド、ヒンドゥ文化、あるいはボンベイの街や人を主題に活動していることも興味深い。不思議な求心性があるのだ。ボンベイ、あるいはムンバイはニューヨークやパリ、東京と同じように、街そのものが個性と魅力を持つ特別なコスモポリスである。誰のものでもないし、誰のものにもなりうる。
週末の疲れをおとすためにゆっくりご飯でも食べようと、土曜の夕方に友人と二人電車に乗ってダウンタウンまで出た。フォート付近にあるモカンボ・カフェでワインを飲みながらチーズ・フォンドュとサーモンのなかなか素敵な食事をして、河岸を変えてデザートでも食べようとコラバに向かって歩いていたところ、ちょうど真ん中のカラ・ゴータの公園に無数のテントが張られている。この日はちょうど毎年行われている「カラ・ゴーダ・アートフェスティバル」の真っ最中で、公園の敷地内に個人のアーティストやギャラリーやデザイナーのテントが何十も並んでいた。ジャーハンギール・アートギャラリーのすぐ横である。
公園は見学や買い物の人でごった返していて、近所のレストランが食べ物やデザート、飲み物の屋台を広げているので、夏祭りのようである。インド風カキ氷、ゴラをすすりながら作品の前で立ち止まる人たち。見物客相手にビジネスをしようと集まってくる物売り。夜10時近く、野外の黄色い明かりの中で見るアートにはちょっと格別な親密さがあるものだ。ボンベイ・アートはとにかく色を惜しみなく使う。赤や黄色やオレンジを使う。人を主題にした作品がほとんどである。ちょっと漫画風に、コミカルで愛らしく人を描く。写真も雑然とした人の暮らしの美しさを描く。茶色の肌に白い目をした無数の労働者たちが、赤い土の上を自転車や押し車を引いて走り、その後ろで水色の壁の家ののきに色とりどりの洗濯物をつるしたサリーの女たちが立ち止まっている、とかね。私にとってはエキゾチックであるものが、彼らの目には郷愁なのだと思うと不思議な気がする。
私は日本でも地方出身でかつ都市から離れたところで暮らしてきた人間なので、「ハプニング」な場所で暮らすことの楽しさをボンベイに来て初めて知った。角を曲がったら芸術祭をやっていた、という体験は今までになかった。ニューヨークを旅行したときにも、たまたま公園でプラスティック・カップのビールを買って休んでいたら目の前で野外コンサートがはじまったことがあったけれど、こういう体験は本当に素敵だ。自分の趣味にあうミュージシャンやアーティストのコンサートや個展をネットで調べて出かけるのとはちょっとちがう。自分が好きかどうかとは関係なく、目の前にひょっこり現れる無限数の個性と感性とその表現方法を眺め、消費し、あるいは消化して、多様な世界の一部としてただ受け入れていく、そういう都会のメンタリティーが好きだ。
ボンベイという主題ひとつにしても、ありとあらゆる表現がある。ヒンドゥ教のヴィシュヌ神みたいに、見る人間の目によって無数の化身があるわけだ。小さな島の集まりであり、または半島であり、クールであり、ホットであり、分離的であり、あるいは連帯でもある。とにかく見つめる目の数だけは、どんな大都市にも負けないはずだ。
インドのキリスト教会へ行く
12 Dec 2010 2 Comments
in 文化, 日本語の記事 Tags: インドのキリスト教, クリスチャン, ジュフ教会, ボンベイ, ムンバイ, 礼拝
スモーク・サーモン・ベーグルを食べたあと、ジュフ教会に行ってみた。私の元同僚の日本人の女の子は事情で大人になってから洗礼を受けて、ボンベイで暮らしている間も毎週教会に通っていた。「えー、わざわざ毎週日曜日に礼拝に行くなんて意外と敬虔なんだねぇ?めんどくさくない?」と聞いたら「私は敬虔ですってば。でも、おすすめですよ。気持ちが落ち着くっていうかぁ。」と言っていた。
私は教会には縁がなく、一度小学校の時に友達と近所のキリスト教会でお菓子がもらえるといううわさを聞いて礼拝に行ったのが最後である。お菓子はもらえたけれど、その代わりに知らない聖歌を歌わされたり輪になって手をつないでお祈りをさせられたりして、どうやらお菓子はタダではないと知ってそれっきり近寄ったことがなかった。
ふらっと入ったジュフ教会では、ちょうど7時の礼拝が始まるところであった。小ぢんまりした教会だけれど、キリストが十字架にかけられる一連の物語を表した浮き彫りのデコレーションやステンドグラスのコレクションがきれいだ。正面には大きな十字架にかけられたキリストが、十字架から外れた腕をグリコのマークみたいに広げている像がかけられていて、その様子がよくあるうなだれたキリストと違ってジョイフルだ。
時間が来て礼拝が始まると、司祭が話をして、オルガンと歌が始まって、だれかが聖書を読み上げる。マイクのエコーがすごくて何を話しているのかほとんど聞き取れなかったんだけれど、大枠はユダヤ教やイスラム教などいろんな宗教を比較対象に取り上げながらキリスト教のよさを説いているようであった。映画で観るのと同じように、神父さんがキリストの肉と血を分け与え、信者が列を作って白いせんべいみたいなものを食べさせてもらっていた。あのせんべいは何でできているのか、どんな味がするのかものすごく気になったけれど、さすがに列に並ぶのは節操がないのでがまんしておいた。
蚊を追い払いながら周りの人たちの真似をしてぼんやり礼拝を観察しつつ、ああ、私はこんな自分と関係のない教会の礼拝にまざってマンウォッチングしたりして、つくづく暇な目的のない人生を送っているよな、とふと思ったりした。同時に、好奇心のあるところ自由に歩きまわれる自分の立場は幸福のような気もした。
私はまずは非宗教的な人間だし、特にキリスト教などのテキストのある宗教の精神世界になじまない。個人的な見方をすれば、キリストがどんなにすばらしい聖者で、聖書がどれほど人生の真実を語っていたのだとしても、その理論やドグマがなぜ単なるひとつの物の見方を示した本という以上に信仰の対象にならなくてはならないのか、という点がうまく飲み込めない。同じ理屈で、私は他人を尊敬する気持ちもまた精神的纏足になる(言い換えれば、頭を悪くする原因になる)と考えているので、立派な人に出会って感じ入ることがあっても相手の世界との間に明確なラインを発見するように努めている。信じるとは100%曇りなく信じることである。それが宗教だとすると、この人たちは今教会の中で神父の解釈を聞きながら心の底では何を考えているのだろうか。
でもそれとは関係なく、人が何かに向かって祈っている姿はやはり美しい。驚くべきことに、このジュフ教会は墓の上に建っている。教会の門を入ると、建物の入り口まで地面には平たい墓石が埋まっていて、名前が刻まれている。その上を歩く。死者の上を歩いている。端のほうには十字架がいくつも立っていて、ろうそくの火が灯っている。人が立ち止まって目を閉じて小さな声で何かを祈っている。
どの宗教でも、ろうそくの火の前で心打たれて無心になる気持ちは同じのように見える。こんな時は日本の実家の近くの弘法寺で見た何百本ものろうそくの火を思い出す。夕方から夜の間で、ろうそくの光だけが黄色く浮かんでいる。静かにお参りをして通り過ぎる人たちの影もゆらゆら揺れて、一人ぼっちのような怖いような、それでもなんらかの真実に近づいているような不思議な気がする。そこにいるものが神だろうと過去の聖人だろうと狐だろうとガネーシャだろうと、そういうことは問題じゃなく、人の心にはろうそくの火の中に世界の不思議を見出す集合的無意識があるにちがいない。キリストとか聖書とかコーランとか、そういうのは単なる表象に過ぎないにちがいない。
ボンベイの気になる不動産事情
08 Dec 2010 Leave a Comment
会社が借りてくれていたフラットを出て自分で部屋を借りてからもうすぐ丸1年が経つ。引越しを手伝ってくれた総務のサンジェイおじさんにその話をしたら、「えー、もう1年かあ。時が経つのは早いなあ。はははは」と例の(といっても現・元同僚の方にしかわからないかもだけど)気の抜けた軽い笑いをした。時が経つのはほんとうに早い。
ところで、不動産バブル真っ只中のボンベイの不動産取引には公式・非公式のさまざまなルールがある。これからボンベイ市内で部屋を借りる予定のある方のためにここにちょっとまとめておくので、何かの時に参考にしてください。
その1.敷金は家賃の5~10か月分、礼金は1~2か月分
部屋のランクによってちがうけれど、敷金は5から10か月分が相場。私の場合は、10ヶ月というところを値切りに値切って5ヶ月にしてもらった。敷金はチェックで支払っておいて、部屋を出るときにはそのチェックのまま大家さんが返してくれる仕組み。通常、一つの不動産には、その部屋を直接担当しているブローカーと、商売上連携しているもう一人のディーラーの2人が関与していて、一部屋さばくと、2人で礼金を2等分する仕組み。だから通常は家賃の2か月分を礼金として支払います。
その2.賃貸には警察の証明書がいる
部屋を借りる時には、法律家のところに家主と借主が一緒に行って賃貸契約を結ぶ。その契約書を持って警察に行って、「ポリス・サーティフィケイト」という保証書を作ってもらう。これはコミュニティに提出して犯罪歴がないことを保障したりする証明書として使われます。うちのコミュニティの意地悪おばさんは、私が外人と見ると「警察の証明書だしなさい、早く!」と迫ってきてとてもこわかった。
その3.コミュニティによって借りる人間に制限がある
不動産ブローカーは部屋をとにかくさばきたいので条件をあんまり明確にしないけれど、各コミュニティによってこういうひとは受け入れません、という不文律がけっこうある。たとえば、独身者、独身男性、特定の宗教以外の者、肉食者、中国人などなど。これは大家さんの好みもあるけれど、だいたいはコミュニティに住む人の偏りによる。外国人の独身者というのは嫌われるけれど、「仕事中毒の日本人女性」はオッケーだそうです。
その4.家賃は一年ごとに上がる
不思議なことだが、一年ごとに家賃が上がる仕組みになっている。契約書にも、1年目は3万、2年目は3万五千円、3年目は4万円・・・と通常書かれている。建物は老朽化するのになぜ年を経るごとに値段が上がらなきゃいけないんだ、と不思議に思うけれど、ボンベイの地価は今どんどんあがっているので、その対策らしい。たとえば5年間同じ安い家賃で住まれちゃったら、家主としては採算が合わないわけだ。それに人がどんどん流入してくるので、一人の借主に長期間借りてほしくないという事情もあるみたいだ。
その5.一年ごとにブローカーにみかじめ料(?)を払う
これが最近もめた一件なのだが、「慣習」として借主は一年に一度、不動産を紹介してくれたブローカーに家賃1か月分の謝礼金を払う。そんなことは契約書には書いていない(書いてあるケースもあるらしいが、私の契約書にはなかった)。うちの賃貸は3年契約なので、「金払え」と言われたときに「そんな馬鹿な話があるかい。契約更新のときに払うのは意味がわかるけれど、年に1回礼金を払っていたら、3年契約の意味がないじゃないか!」と怒鳴って帰ってしまったんだけど、あとで大家さんに問い合わせたら「そういうもんなの。私だってあと2つ部屋もってるけど、年に1回礼金払ってるんだよ。契約書に書いてあるとか書いてないとかの問題じゃなくて、そういう慣例なんだから払っときなさい」と言われた。不思議な慣例だしいまいち納得がいかないが、とりあえずあわててブローカーに電話をして怒鳴ったことを謝ってお金を払いました。痛い出費だ。
とまあ、とにかくいろいろ日本の常識とは違うところがある。全体的な解釈をすれば、ようするにボンベイの不動産は回してナンボなのである。一つの契約が短ければ短いほど、より多くの儲けの可能性が出てくるわけだ。だから一人の相手に部屋を長期で貸したがる家主もブローカーもいない。部屋だけに限らず、店舗も同じである。最近、繁盛しているいきつけの薬局が閉店すると言うので理由を聞いたら、「大家さんがさ、契約更新に興味がないって言うんだよね。」と言っていた。彼は1ブロック向こうに別の店舗を借りて成功しているが、だいたい店舗契約も3年とか5年で切れて、更新はされないケースが多いらしい。レストランの店舗も同じ原理なので、なじみの店がどんどん消えていくのはなかなか悲しい。借りたら借りっぱなしにできないので面倒だが、自分もそれに合わせて流転していくしかなさそうだ。
インドの結婚ラッシュ(2)―お見合い結婚の実情
26 Nov 2010 7 Comments
in 文化, 日本語の記事 Tags: インド結婚式, featured-Japanese, indian wedding
最近は恋愛結婚がかなり増えているが、それでも私の経験上、若い世代のインド人の結婚の9割はお見合いである。日本で今お見合いというと、結婚できない人の最終手段みたいな響きが出てしまうけれど、私の美しく若い同僚たちは10人に9人がお見合い結婚を選んでいて、なかなか幸せそうでもある。
このあいだ一人の同僚(25歳)と話をしていたときに、彼女は「あたしはとにかく、とにっかく、恋愛結婚だけは絶対しないって若いときから決めてた。ほとんどの人がそうなんだと思うな」と言っていた。理由をかいつまんで説明するとこうである。
インドは独立の時にいろんな小国の寄せ集めでできた国だ。州をまたぐと文化も言葉もぜんぜん違う。だから、基本的に州と州の関係は日本の県とかアメリカの州とかとは違って、どっちかというと外国に近いような認識である。(実際、「いろんな国を旅するのが好き」というインド人にどこを旅行したの?聞いてみると、国内旅行の話だったりする。)それだけじゃなく、宗教もばらばらで、カーストも違う。そうすると、たとえば「東京でであった二人~♪」みたいなかんじで「ボンベイで出会った二人~♪」が一緒になろうとしても、どうせ障害が多すぎていらん苦労するだけだという。
具体的に言えば、たとえばハイデラバードの商人カースト出身の女の子とデリーの地主カースト出身の男の子がボンベイで出会って恋に落ちたとする。宗教が同じヒンドゥだとしても、ハイデラバード内にもボンベ以内にもそれぞれ無数のコミュニティがあり、同じ地域内ですらコミュニティを超えた結婚は推奨されていないのに、州が違ったら問題外である。さらにコミュニティが同じだったとしても、商人カーストと地主カーストでは出自も生活文化もまったく違うから、まずは地主カースト側の家族が結婚を認めない。よほど運よく両者の家庭がラディカルでないかぎり、お嫁にいった女の子が言葉も文化も習慣もぜんぜん違う家庭で適応するのがどれだけ大変かは目に見えている。
そんな面倒なことになるぐらいなら、最初から親同士が納得した良縁を選ぶほうが幸せになれるに決まっているじゃないか、ということらしい。だから、よほど愛に生きているか奔放でないかぎり、賢い選択肢として積極的にお見合い結婚を選ぶパターンが必然的に多くなるのだそうだ。「恋愛もどうせ結婚になった瞬間から“生活”っていう別のものに変化するわけだから、見合いだろうが恋愛だろうが、どうせ同じじゃん」というのが彼女の意見である。まっとうだと思う。実際のところ、どこまでが教育でどこからが自由意志なのかは測りようがないのだが。
私は個人的には結婚については懐疑的なたちで、情熱が冷めた時に制度上簡単に別れられなくなる相手ができるのは恐怖に等しいという思いがある。子どもができたら自分の母性がどう働くのかちょっと想像がつかないのだが、子どもがいても夫がいても、好きな相手ができたり生活がイヤになったときに、すべてを放り出して一人で逃亡する自分が目に見えている。少なくとも今は、やりたいことが自由にできない状況は孤独よりも耐え難い。あるいはそのリスクを負ってでも結婚してじぶんのものにしたい(あるいは“できる”)相手にまだ出会っていないということなのかもしれない。ものごとの結果が自分の意思によるものなのか、はたまた運や偶然の帰結であるのかはやっぱりよくわからない。いずれにしても、インド的結婚観は理屈では理解できるし納得もできるのだけれど、精神的に共感するのはちょっと私には難しい。
あさって結婚する同僚の彼は6歳年下で職場恋愛なんだそうだ。彼は22歳、彼女は28歳。「えー、そんなに若いの??ちょっと、親御さんなんて言ってんの?」と年配の同僚が驚いて聞くと、「別になんにも。22歳だろうと年下だろうと、彼が私と結婚したいっていうんだからしょうがないでしょうが」とクールに返していた。そうだよね。やっぱり、こういうのはいい。いろいろあるけど、本当はやっぱりシンプルなのがいい。お互い好き同士、楽しくて平和な暮らしが長く続きそうな気がする相手と、当たり前のように家族になるのが一番だと思うけれど、インド人も、非インド人もまあ、そんなに簡単ではないよな、と思う。
インドの結婚ラッシュ(1) ― インドの合理的セキュラー結婚式
26 Nov 2010 Leave a Comment
結婚式シーズンである。雨季が終わる10月は、インドはディワリの準備や帰省でみんな忙しい。その時期を過ぎて、青空が毎日続くちょっとすずしい11月の中旬から12月にかけて、ムンバイは結婚式ラッシュを迎える。ディワリの縁起かつぎでジュエリーショップにはゴールドを求める花嫁家族やプレゼントを選ぶ人々が文字通りあふかえり、高級ジュエリー店の店内が信じられないぐらいギュウギュウになる。先日結婚した私の友人と一緒に結婚式につけるバングルを店にとりに行ったのだけれど、入り口まで人が殺到していて入るのを諦めたぐらいである。
この美人の友人は、子どものころからカタカリダンスや歌をたしなむお嬢さんで、インドの一般家庭と比べて進んだご家庭で育っている。ご両親も彼女もかなりSecularな思想の持ち主で、基本的に宗教行事はまったくしない。結婚式も完全に無宗教スタイルであった。インドで無宗教の結婚式をどうやってやるかというと、ますヒンドゥ教のお坊さんが来て結婚式のお祈りと誓いをやる代わりに、役所のMarriage Officerという役人を家に呼ぶ。親戚や保証人が見守る前で結婚届にサインをして拇印を押し、「私○○は、△△を妻(夫)とします」と3回ずつ言う。役人が結婚証明書をくれて、それを二人で掲げてにっこり笑う。みんなが拍手をしてヒューヒューと叫んで写真を撮り、親戚のおばさんたちが祝福をする。これでおしまい、実質30分。かなり合理的である。
「これは伝統的な結婚式とかなり違うからさ」と花嫁の父が私に説明する。おじさんも同じ形式の無宗教結婚式をやったんだそうである。結婚式の形態は、コミュニティにより家庭により本当にさまざまで、「これぞインドの結婚式!」という一般的なスタイルは存在しない。ある家庭の結婚式は7日かけて行うが、ある家庭では半日ですべてが終わる。北インドは夜、南インドは朝に結婚するという。ヒンドゥでは多くの場合血縁の女が集まって式を取り仕切るが、ムスリムのあるコミュニティでは式は女人禁制である。無数の小コミュニティがそれぞれに細かいしきたりを持っていて、そのコミュニティの中でも家庭によってどれだけしきたりを厳密に守るかが違う。細部の違いがとにかく面白いので、ブーケのデザインの違い一つに興奮して写真を取りまくってしまう。
ところで、結婚式はかなり多様なのだが、インドの結婚披露宴というのは大体似通っている。インド人の友人に聞いてみても、「ああ、披露宴はだれのやつも大体こんな感じだよな」と言う。どんな感じかというと、野外会場に舞台があって、その上に花嫁花婿とその両親たちが微笑んで立っている。親戚や友人、隣人たちは列を作って舞台の前に並び、順番に舞台に上がって祝福を言ってお祝いを渡し、カメラマンが写真を撮ったら壇上を下りる。これが2,3時間延々続く。イベントも歌も踊りもなし。会場の隅にはブッフェがあって、列を待つ人や挨拶が終わった人が適当に食べ物を取って食べて帰っていく。文字通り「披露宴」。席順とかも決まっていないので、人がランダムに来ては帰っていく。
お金もかかるし大変そうだけれど、いろいろな結婚式を見ていると、自分も1回ぐらいインドの結婚式を自分のためにやってみたい気がしてくる。ばりばりに目張りをいれた化粧をして、きらきらのサリーを着てみんなに祝福されてみたい。特にインドの場合、1回やったら簡単に後戻りできないところが怖いですが。










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