インドの夏と停電
09 Apr 2012 Leave a Comment
in 生活, 日本語の記事 Tags: インド, ムーミン谷, 停電, 夏
ボンベイの4月は暑い。生きているだけで汗が出てくる。うちにはクーラーが無いので、天井に大きな扇風機のあるホールにベッドをよっこいしょと運んで来て、なんとか暑さをしのいでいる。週中はオフィスにいるのでそんなに気にならないのだけれど、週末の日中の室内は温室みたいに暑いので、カフェに避難して本を読んだりして過ごしている。停電があったりしたらもう暑くて床のひんやりしたところを一人ごろごろ転がっているしかない。うん、去年もこんなかんじだったな、とけだるく思いながら。
新しい年度になって、新しい仕事が山積みだ。アイディアをギュウギュウ絞り出してぐいっとまとめて形にする仕事ばかりで、時々頭が熱くなりすぎて気絶しそうになる。仕事はマテリアライゼーションの面白さと恐怖の間にいつもあって、無心に走りながら、いい意味で自分を失っている。余裕がない。やりたいことが、未来の余白が見えないぐらいに積み上っていて、よけいなことを考えている暇もない。
仕事の手があいたら、旅にも出たい。まだ行っていない北インドやネパールも見てみたい。お金がたまったらアフリカやヨーロッパにも行きたい。気楽にゴアにも友達と1週間ぐらいゆっくり行って休みたい。読みたい本も棚に積上っているし、時間ができたらじっくり書きたいテーマも手帳にぼちぼち溜まっている。写真や映像編集、デザインも先のためにもう少し勉強しておかなければ。そう思いながら、ほとんど手がつかないままだ。
それでもふと、摩耗しきって床に転がって天井を見ている週末の午後や、リセットしきれていない頭でなんとか一日を乗り切った月曜日の深夜に、油断していると心に降りてくる小さな孤独のような空虚な感覚にとらわれるときがある。一定のスピードで生活を送っていると、「置いてけぼりにされた何か」がこんこんと心臓をノックしているような気がする。そんなときには、どんなに仕事がうまく行っても、やりたいと思っていたことができても、心から楽しめない。だからぼんやりと天井を見ながら、その何かについて考える。
そういう種類の孤独は、どんなに親しい人がそばにいてもどうにもならない。いわば自分と自分との乖離だから、静かに辛抱強くもう一部の自分が追いついてくるのを待って、せーのでまた歩き始めるしかない。一人でものを考えて暮らすのに慣れてくると、そんな風に壁に向かってテニスの試合をしているような気分になることが時々ある。それでもまた歩き出して、発信して、誰かとふと心が通じた気がするときはうれしい。
「ムーミン谷の夏祭り」で、ばらばらの場所から集まった仲間が停電の真っ暗闇の中で小さなろうそくを見つけてつけた時に、まるでみんなが一つの人間になったようなほっとする気持ちになった、というくだりがある。いつも、孤独な停電の向こうにそんな瞬間を探している。ろうそくの代わりに扇風機がまわってくれればいいのだけれど。
マッキントッシュ・コンピュータ
17 Nov 2011 2 Comments
MacBookProを購入した。今年もあと残すところ1ヶ月半。車も買ったし、大きな買い物をたくさんした年であった。4年半前にインドに来たときに持ってきた東芝がモンスーンでストライキを起こしたので引退していただいて、インドで買ったコンパックの最強コンピュータでこれまでがんばってきた。しかしこの数ヶ月の間にYouTubeすらまともに再生できないぐらいスピードダウンしてしまった。
インドではスマホといえばBlackBerryで、iPhoneを持っている人はほとんどいない。一度だけ空港のアメリカに向かう飛行機の待ち合いルームでお金持ちそうなインド人の女の子が持っているのをみて衝撃を受けたけれど、それがインドでアクティヴなiPhoneをみた最初で最後である。でもここ数ヶ月の間にiPadなどのタブレットPCとMacBookAirの世界的人気と、インドの悪徳大資本RelianceがAppleの販売権を獲得して全国的にApple製品を推し始めたことで、にわかにマックが買いやすい環境になった。
ジョブズ亡き後のりんごちゃんを応援すべく・・・というのは後付けで、仕事とプライベート半々でハイスペックなコンピュータが必要になったので、ウィンからマックへの乗り換えブームに自分もここで乗ってみることにした。マーケッターとして今のリンゴ的世界観やデザイン標準にもちょっと首を突っ込んでおきたいなと思っていたので、いいチャンスである。
ちなみに、私は長年Windows95のファンであった。高校生のときに両親が購入した富士通の95が私にとってのコンピュータの元型だ。95はよかった。10万円の札束を握りしめて名古屋の大須に行って、最新のマザーボードからディスク、さまざまな部品を買い集めて、安いケースと一緒にずるずる引きずって地元の町に持ち帰り、自分でWinパソコンを組み立てて使っていた。95を自作PCにインストールして使えるのを確認したときの感動といったらなかった。調子がおかしくなったりアップグレードが必要なときにドライバーでパソコンの蓋をバカッと開けて、部品をはめ込んだりつないだりするのが楽しかった。ネットワークについても一時はとにかく面白くて日経のネットワーク系マガジンを購読して熱心に勉強して、小規模イントラネットは自分で作れるようになったこともあったけれど、今はもう高校の数学と同じで残念ながら全く覚えていない。
それも今は昔の話だ。マッキントッシュに乗り換えるのにはちょっと資金と勇気が必要だったけれど、乗り換えてみたらユーザーフレンドリーでものすごく使いやすい。Windowsのキーボードショートカットに慣れているとキーボードに慣れるのにだいたい1週間ぐらいかかるけれど、使い分けも慣れればなんてことはない。時々会社のWinコンピュータを使っていてコマンドキーを探してしまうぐらいである。昔はマックはマニア向けと言われていたけれど、時代は変わったらしい。Apple製品やソフトはむしろ超一般ユーザー向けにできていて、猿でも使えるぐらい直感的だ。楽だし気持ちいいし、楽しい。
私は学部時代から大学院生時代にわりと長い間コンピュータ教室の講師としてMicrosoft Officeの指導をしていて、Windowsのややこしいフォルダの概念と管理で苦労する初心者をたくさん観てきた。Windowsは何気にデータのロケーションや階層構造をメタレベルで理解できるスキーマがないとアプリケーションがうまく使えない。若い人や子供は飲み込みが早いから無意識にそのスキーマがつくのだけれど、年配の人がWindowsを経験的に理解するのは実はとても難しい。それでも、平均的な一般ユーザーにとっては、たとえ評判が悪かろうと、OSはWindowsに始まりWindowsに終わる、と思っていた。
マックに乗り換えてみた感想として、今度年配の人に「生まれて初めてパソコンを始めたいんだけれどどれを買ったらいい?」と聞かれたらマックを勧めてもいいなと思う。長年仕事でWindowsを使ってきた年配の人には勧めないけれど、初めてパソコンを使うという人には多分なじみやすいんじゃないだろうか。おじいちゃんおばあちゃんにも勧めたい、Apple、学ぶところの多い企業である。
5年目のディワリ
31 Oct 2011 Leave a Comment
待ちに待ったシャールク・カーンのディワリ映画「RA・ONE」を観て私の今年のディワリももう締めである。去年はまともな大型ディワリ映画が公開されなかったので、仕方なく家でシャールクの「Om Shanti Om」のDVDを観てすごしたけれど、今年は劇場だ。そう、これじゃなくちゃいけない。ピュア・エンターテインメント、「いよっ、成田屋ぁ~っ!」である。ディワリ飾りと電飾できらきらしい街もオフィスもご近所さんの窓も毎年同じ。私も倣って玄関のドアにランタン(ディア)を飾って、髪を短く切って新年の静かなお祝いをした。ディワリショッピングで買った新しいネットブックでこのブログを書いている。わるくない。これで5年目。
日本から離れてもうずいぶんたつ。私は1年に1度の休暇のときに10日ほどまとめて日本に帰るだけなので、この5年間で日本にいた時期は合計で1ヶ月ちょっとぐらいしかない。日本の情報は入ってくるけれど、変わり行く日本の空気や精神文化からは完全に浦島太郎状態である。反対に、インドのやり方には体の隅々まで慣れきってしまったので、当たり前すぎてもう逆に文化差を感じない。会社でも「おまえはインドに長くいすぎた。日本人の感覚をちょっと取り戻してこい」と言われる始末である。
この1年を振り返ると、引越しやネズミの駆除や配置換え、自動車の免許取得など、けっこういろんなイベントがあったけれど、そんなトラブルもまた日常となりつつある。ケ・セラ・セラ。
インドは5年で急速に変わった。ランチの値段が2倍になり、ケータイやケーブルテレビ、インターネットのプランが競争化し、ファンシーなレストランやコーヒーショップが増え、小さな商店や古い日用品スーパーが高級モールに食われて潰れていく。以前のボンベイにあった、急激な経済成長と消費文化の興隆を祝うハレの雰囲気はずいぶんと落ち着いて、胸のわくわくする時代は減速しつつあるように感じる。「家庭で初めての車」はエキサイティングだけれど、一度買ってしまえば後はグレードを上げるか数を増やすだけだから。それでもまだ、おそらくは日本と比べ物にならないぐらい人は明るく、世界がよい方向に向かっているという信念と希望に満ちている。
2年目、3年目、4年目、どの年を振り返っても、私はいつも未来について語ることを避けてきた。「答えを出さないこと」が、生きる方針ですらあった。興味の赴くままに、心のままに行動して、結果たどりつく場所を答えとしたかった。将来の夢も、目標もいらない。その瞬間にいつも全力を出していれば、スキルや力は自然とついてくるし、人との関係もできるし、思想もそなわってくる。それがおのずと自分を新しい場所に連れて行く。その考え方は今でも少しも変わらない。それでも、インドがその盲目的疾走のスピードを少しだけ緩めつつあるように、私もまた少しスタミナがついて余裕が出てきて、スピードを軽く落として自分の静かな呼吸を数えながら、ふむ、果たして自分は今どこに向かって走っているんだろうな、と考えはじめている。
取れ高主義の今の生活もいいけれど、そろそろ少し、未来の夢を見てみようか。
5年目。私がここで何をしているのか?いまだ答えはわからない。でも、問いは持ち続けていようと思う。なぜここにいるのか、何をしているのか、どこへ向かおうとしているのか。正しい答えがあるかどうかは知らない。たぶん答えなんてないだろう。それでも暫定的な仮説を立てては、それを毎日棄却し、再考し、修正し、新しく立て直しながら、どちらかわからない前に向かって進んでいこうと思う。さあ、考えよう。
ポーキング・フィンガー
23 Oct 2011 Leave a Comment
人生における最良の薬は、旅に出たり、別の土地に一時移ることかもしれない。一人で暮らしていても、家族と暮らしていても。
旅でなくてもいい。いつもと違う場所に散歩に出たり、新しいカメラを買ったり、読んだことのない作家の本を読んだり、知らないことを勉強したり、新しい人と出会って話をしたり。自分を未知の中に放り出すこと。そして、自分のことは忘れて、自分を囲む周りの世界や対象が、自分以外のものがどうなっているかに注意を注ぐのだ。
見慣れたもの、見慣れたリアクション、考え事をしながらでも歩ける通勤路、努力しなくてもうまくできる仕事、コンフリクト回避の方法を知り尽くした関係性。その中に漬かりきっていると、自分にだんだん興味が向いていく。自分がどう感じるのか、何を考えるのか、どう見えているのか、何を望んでいるのか。幸せなのか、不幸せなのか。自分という人間を探求することが人生の中心になっていく。何を成し遂げたか、何を生み出したか、どこまで深く広く成長できたか。
そんなことはどうだっていい。自分が何者になれたかなんてたいした意味はないし、自分の心なんてたいしたものじゃない。ただ無心に周りの世界を観察して、心に自分以外のものをいっぱいに詰め込んで生きられる、からっぽの人間になれたらどんなにすばらしいかわからない。だから、私はできるかぎり自分については深く考えないようにしている。自分について思い悩みそうになるときは、目の前のコップについて考える。私が望む自分になったところで、世界が今より面白くなるわけでもないのだから。
ボンベイの歩道を歩いていて、道に座っている牛を指でつついたことがある。あんまり無警戒に寝ているから、つついたら起きるかどうか試してみたかったのだが、ぴっと人差し指で牛の背中に触ったら牛は起きるし牛使いが怒鳴りながら追いかけてくるしで結構大騒ぎになってしまい、謝りながら走って逃げたのだった。
まあいいことばかりがあるわけではないし、いいものばかりを見るわけでもない。叱られることもしょっちゅうだ。でもできるなら、いつでもどこでも、そんなポーキングフィンガー的存在でありたいと思う。好奇心のままに、どんな反応が来るか想像がつかないものの前に立って、ちょっとどきどきしながら人差し指でつついて回りたい。善悪や倫理、ルール、感情の壁や許容範囲を超えて、俯瞰でなく、指が届く距離から、周りの世界を面白く眺めては波紋を作りたい。
一人暮らしのオレンジジュース
26 Sep 2011 2 Comments
一人で暮らしていて難しいのは、野菜やパンを買う量と洗濯のタイミングだ。私はだいたい1週間に1回、マーケットに行って適当に野菜とパンを買いためておくのだが、どうしても買いすぎた分を腐らせてしまう。オクラを500グラムと、トマトを500グラム、かぼちゃを4分の1と、うりを1本と、たまねぎ、じゃがいも、にんじん、ほうれんそう。それにパンを1斤。日曜日に買い物をして、しばらくは張り切って料理をするものの、週中になると仕事で疲れてだんだんめんどうくさくなって外食をしたりしてしまい、土曜日に賞味期限の切れたパンやしなびた野菜をゴミ箱にまとめて捨てるやるせない生活である。
うーん、悩ましい。
私はあらゆる意味でアン・オーガナイズド人間なので、冷蔵庫なんかあっという間に食べかけの食品でいっぱいになってしまう。かじりかけのりんご、半分食べたビリヤニ、作り置きしておいたカレーや炊きすぎたご飯、夜中にちぎってたべたパンのかけら、チョコレートの3分の1。インドの夏は冷蔵庫にいれておいても停電のせいなのかなんなのかものが腐りやすいから、2、3日忘れてしまうともう危なくて食べられない。もったいないったらありゃしない。食べきれない分を買ったり作らなければいいんだけれど、まとめて作れば後が楽だし、まとめて買わないと忙しくて買い物に行けないときに食生活が荒んでしまう。生活って難しい。
うちの洗濯機は二層式の上に水道につながっていないので、服を洗うときには水が来ているときに(水は一日に2回、早朝と夕方しか来ない)お風呂場から洗面器に水を汲んでせっせと10回ぐらい運ばないといけない。重いし面倒だし、そんなこと元気じゃないとできない。というわけで、毎日手洗いで洗濯をしているんだけれど、疲れているとこれもできない。お風呂に入るだけで精一杯で、そのまま床にぶっ倒れて朝まで眠ってしまうことも多い。手洗いしてない洗濯物が2日もたまるともう面倒になって、「まあいいや、週末にまとめて洗おう」と思っていると週末は朝起きられないし、夜は遊びにでかけていていないしで、ついつい洗濯の機会を逃してしまう。気づいてみると着るものがなくて、仕方なくジムTシャツで会社に行ったりしてしまうこともある。
暮らすって大変だなあ、と思う。
それのどこが大変なんだ、単なる怠け者のたわごとじゃないか、と全国の主婦の皆さんは思っているかもしれない。おっしゃるとおりだ。でもひとつ言わせてもらえば、一人で暮らすっていうことは、自分ひとりなんてどうにでもなるじゃん、どうでもいいじゃん、と自暴自棄になりそうな自分をぐっと押しとどめて、明日はいていくパンツのために寝そべって床に張り付いちゃった体をもう一度ぐっと持ち上げて、洗濯石鹸と洗面器を手に取り立ち上がる勇気ある行為なのだ。自分の健康のために野菜たっぷりのおいしい炊き込みご飯や煮物を作ったり、貧血気味のときにレバーを買ってきて炒めたり。寝る前に快眠ヨガをしたり。「明日のためにそのイチ!」と叫んでストイックに立ち上がる。丹下段平と矢吹丈を一人二役でこなすかのように。大げさか?
何もかもやりたくないとき、私はただオレンジジュースだけは冷蔵庫に買いためておく。朝ごはんが作れないとき、食事が偏ったとき、風邪を引きそうなとき、甘いものを食べたいけれど買いに行くのが面倒なとき、ただ買っておいたオレンジジュースをひたすら飲む。おいしいし、ビタミンも取れそうだし、色もかわいいし、とりあえずなにもかもできなくても、きちんと生きている気になるからいいのだ。そんな風に自分を許し許して楽に生きていくのが一番いいのだ。
タイムカプセル
28 Aug 2011 Leave a Comment
この1ヶ月ほど、SNSで子供時代の仲間と語り合う機会が頻繁にあったのだが、まるでクリスマス飾りの灯りのように、といえば美しいが、1本1本の古い記憶をつかさどるシナプスが徐々に着火していくみたいに、過去の記憶が淡々と数珠繋ぎにフラッシュバックする不思議な体験をしている。結果として、ひょっとして自分は13歳のときとほとんど変わっていないんじゃないのか、と気づいてどうにも考え込んでしまう。
私はけっこう忘れたい記憶が多い無軌道な人間なので、ふと何かの機会に昔のことを思い出しそうになると鼻歌を歌ってあんまり深く考えないようにして、今にだけ集中するように心がけている。自分の年齢になると周りを眺めてみても同じようなもんで、何かを抱えていない人間なんてほとんど一人もいない。性格にも能力にも関係にも社会的にもなんらかの問題を抱えている。それでも開き直って生きていくしかないのは誰しも変わらない。
しかしあらためて自分の思い出をぐるりと振り返ってみると、人間関係のあり方や、好みのタイプ、人間としてだめなところは実に今と昔と比べて変わっていないようだ。学校では忘れ物の常習犯だったけれど、今でも会社に行くときパソコンのケーブルやら傘やらをしょっちゅう忘れている。考えてみれば子供のころから今に至るまで似たようなタイプの人に落ちて自分を見失ってきたし、同じようなタイプの人間と気が合わないし、昔から同じような理由で自己嫌悪に陥っているように見える。そんなろくでもない傾向が、同じような失敗を人生で何度も何度も引き起こしている。でもまあ、反省ばっかりしていたってしょうがない。
大学院時代に、非日常的なつらい経験を経た人の心の成長に興味があって、関連する本をまとめて読んでいたことがある。いわゆる「不幸」は人の心をめためたにしてしまうこともあれば、不思議な作用で人を強靭な人間に生まれ変わらせることもある。これは修士論文のテーマで、自分には荷が重すぎる研究課題だったけれど、勉強して実になるものは多かった。たとえばひどい児童虐待やホロコーストの被害者の話は、人間の心がいかにストレッチャブルで無限の適応可能性に満ちているかを考えさせられるし、それが可能だとしたら自分が体験してきたことなんて簡単に人生に還元できる、と思い、勇気付けられる。そんな風に未来の視点から今の自分を振り返り見れば、少なくとも、なにもかもが無駄にはならない。
少しは変わったり、賢くなった部分をあげるとするなら、まあ人生は別に右肩上がりではないのだとわかった上で、いいものも悪いものも、特別なものもくだらないものも含めて、柔軟に自分の滋養や思い出として受け入れていこうという腰は強くなったかもしれない。つらい記憶は楽しい思い出にはならない。分析して理論や物語をつけて納得しようとしても、記憶はそれとは違った仕組みでいつまでも追いかけてくるものである。だからまあ、余計な労力はかけずにノータッチでありのままにしておいて、それをただ眺めておこう、というのが私の基本姿勢である。いつでも好きなときに開けられるタイムカプセルを、机の横に置いておくみたいに。
スガシカオも「踏み潰した踵をはきなおしたら、ため息をぐっと飲み込んで、歩き出そう」と歌っている。「・・・さて、と」と独り言を言って何回も何回も立ちなおす自分が、後にも先にもいるだけなんだな、と思う。
ボンベイからゴアへ(1) ・・・のご報告
19 Jul 2011 2 Comments
英語記事は無視して日本語記事だけ読んでくださっている方のためにも一応ご報告。わたくし実は、先日、結婚しました。
というのはウソで、最近車を買いました。ちょっとアイドルブログ風にしてみたかっただけです(タイトルも)。無益な遊びをしてすみません。英語記事では車関係の顛末をいろいろ書いていたのですが日本語でもまとめてみます。
そもそもの始まりは3月から4月にかけて、ボンベイからちょっと離れたところにある田舎に車で何度か遊びに連れて行ってもらって、インドの田舎の自然って美しいわ・・・と改めて気づいたことがきっかけ。「いいなー車買おっかなー」と車持ちのインド人の友人にぽろっと言ったら「おう買え買え。そのくらいの金使ったらいいだろう」という話になって気持ちが一気に盛り上がってしまい、すぐに近所の自動車学校に入学してしまったのだ。半月講習を受けて実地テストを受けて、免許が取れてから1ヶ月でマルチ・スズキの軽の中古車を買った。
私は日本の自動車免許を持っているし、ドライバー歴は10年近くあるが、それはあちらの世界の話である。ボンベイで車を運転するのは、一度でもこの街でリキシャかタクシーに乗った人にはわかると思うけれど、かなり難しいしキケン極まりない。路上には通行人と野良犬と物乞いがうじゃうじゃいるし、ときどきは牛やバッファローやヤギや象がうろうろしているし、2斜線の道路をリキシャが5台並んでひしめきあって走って、対向車線が込んでいると車もリキシャも平気でもう一方の斜線を逆送してくる世界である。そんな道路だから細かいトランスミッションができるマニュアル車が主流なので、ギアとクラッチの練習からやりなおしであった。
インド免許が取れたら今度は車探しである。私は新車じゃなくて中古を探したので、これがまたてんやわんやであった。一昔前は、インドで中古車といえばとにかく粗悪でぼろぼろでなにをつかまされるかわからない状態だったようだが、今は空前の中古車ブームである。中古車の品質レベルもかなり上がっているので、中流のご家庭の「新車はちょっと・・・」という人たちが気軽に中古車を選ぶようになった。交渉はとにかく面倒で時間がかかって大変だったけれど、ブルーのアルトを買って、小さなボディをリキシャの群れにすべりこませて街を走っている。まだびくびくしながら運転しているので、1キロ走るだけでもへとへとになってしまうのだが、「あと1ヶ月も走れば度胸がつくよ」と人に励まされてトレーニング中である。
そんなこんなで免許も取れて車も買って、こんなにうれしいことは久しぶりである。うれしいあまり、チャンスを見つけてはいちいち免許を財布から引っ張り出して人に見せびらかし、車の写真をアップしまくったおかげで、今は会う人会う人「車、おめでとう!」と祝ってくれたり、中古車購入の相談を持ちかけてきたりする。車はまだまだインドではぜいたく品だし、ボンベイはリキシャやバスやタクシーがかなり発達していて安いので、免許や車を持っている人の割合はかなり少ない。それ以前にインフラや交通事情が最悪な街なので、私が車を転がしていると言うと保守的なインド人の女の子なんかはよく、「こんな街でよく運転するよねぇ、信じられない。私は一生、後部座席でいいわぁ」と言う。そういうのもまたちょっと誇らしい。
朝早く起きて自動車学校に毎日通って、4年以上こつこつ働いて貯めたルピー月給で小さな中古車を買って、みんなに「よくやったね」と褒められて、こんなにうれしいことってない。経済が上り坂の国で中流として暮らしを営んでいく喜びってこういうことかと思う。私の母が就職した1972年当時の公務員の初任給は5万円だったという。若いころの母は今の私が買ったのと同じぼろぼろのマニュアル・シフトのスズキ・アルトに乗っていた。若くて貧乏だった両親は、築50年のこれまたぼろぼろの尼寺をローンで買って改築して住んで家族を作った。「これなら自分には買える」という大きな買い物の決断の一つ一つが、暮らしを築き上げる。こういう叶えられる夢のつみかさねを人は希望と呼ぶのだ。
車選びを手伝ってくれた会社の人が「よく買ったね。うちの会社で最初の車持ちの外国人社員だな。」と言った。そうそう、よくがんばったな、と自分でも思う。「そうなのさ。自分がすごい誇らしいよ。」と私は答える。さあ次はどこへ行こう。私の今年のファイナル・デスティネーションは、ボンベイからコンカン・コーストを走り、いざゴアへ、である。実現するといいなぁ。
ちなみに車を買って2週間でもう3回も警察におせわになってしまったんだけれど、それはまたの機会に。
インドのモンスーン的精神性
12 Jun 2011 Leave a Comment
さあ、今年もモンスーンがやってきた。毎日朝から夜までざあざあ雨が降っている。静かに降っていたと思ったらどしゃ降りになったり、また音がやんで静かな雨に戻ったり。「どどどどどっ」という雨の音がしてくると、傘を持った子どもたちが空き地に飛び出してきてきゃあきゃあ声を上げながら雨と遊んで、びっしょりに濡れては部屋に戻っていく。うん、今年のモンスーンもちゃんとモンスーンだな、となんだかほっとする。
村上春樹さんがカタルーニャ国際賞のスピーチで、日本には無常という言葉があり、過ぎ去り失われていくものを愛でる精神性がある、とおっしゃっていたけれど、それに比べてインドの季節感と精神性はかなり違ったものかもしれない。11月以降、7ヶ月も続く長い長い乾季がやってくる。緑は枯れ、多くの木はは葉が落ちたり茶色になり、赤いからからした土地肌が見える。空気がほこりっぽく人間の肌も乾燥してくる。2月の終わりから徐々に乾いた夏が始まり、ボンベイは日中外にいたら耐えられないほどの暑さになる。しかし、その灼熱がピークに達した6月に、どばばばば~っと雨の季節が怒涛のように始まるのである。
雨が降り始めて2週間ほどたつと、道路わきの木のサイズが変わっていることに気づく。近道に使っていた線路や土手沿いの小道が背丈ぐらいまでに延びた黄緑色の雑草で覆われて埋まっているのに気づく。「おお~元気だねぇ、育ったねえぇ」とつぶやいて大回りをする。犬が大きな水溜りの中に体を沈めて水浴びをしている。びしょびしょに服をぬらした人たちが誇らしそうに笑って雨宿りをしている。1ヶ月もすると、長く続く湿気で虫やネズミやカビやカエルやハエやいろんな有機的なものが大発生して生き物大合唱的な世界に突入する。
そんなふうに、インドの季節はいわば乾季と雨季の大きな循環が生と死の循環と対応するようにして成り立っている。強引に解釈するならば、インドの人たちの驚くべき気長さと忍耐力の強さ、苦難や苦境に動じないポジティヴさは、この「戻ってくる」2つの季節の安定したサイクルがもたらしたものではないのか、とモンスーンの始まりに人も動物も植物もみんなが喜んでいる姿を見るたびに思う。
日本では一つ一つの季節の終わりと始まりの静けさのためか、確かに去るものを愛でる精神が来るものを祝う精神にちょっとだけ勝っている気がしないでもない。ところがインドに住んでいると、雨季の終わりには「あーもう雨、そろそろいいかげんにしろー」と思うし、乾季の終わりには「暑いーこのままじゃ死ぬー、殺す気かー」とうんざりするので、はっきり言って移ろいゆくもの去るものを惜しむ気持ちは皆無である。こういうセンチメンタリズムやメランコリーがないさわやかさが、私がインドの気候と精神性を好きな理由の一つである。
とはいえ、雨に濡れるのが面倒で週末に家にこもって映画を見たり、一人で酒を飲んで本を読んだりごろごろしていたりすると、さすがに私もちょっと普段よりも内向的になって、気持ちも暗くなってくる。曇り空のせいで部屋も暗いし、もの悲しくて脈絡なく寂しく、先が見えないような、ちょっと不安な気持ちになることもある。おそらく雨の涼しさのおかげで毎日快適快眠なせいもあるかもしれない。存在の悩みというのは、隙間のある心にしのびよってくるものだ。ボンベイで暮らしていると、「暑い、うるさい、忙しい、貧乏、ネズミ、停電、断水、ネット止まった、冷蔵庫止まってパンが腐った、レジにおつりない、リキシャ乗車拒否、電車来ない、ATMからお金が出てこない」などの生活のささいな苦難で頭がいっぱいであんまり悩んでいる暇がないのだが、雨季の始まりにはちょっと自分を振り返るような余裕ができるのかもしれない。
まだ始まって2週間。さわやかでいい。今、雨を避けて隙間から入ってくる羽アリやネズミさんたちが増えてきて、徐々に家がカビくさくなってきているので、この静かで内省的な気持ちもそのうちぶっとんでしまうだろうから、まあ、この間だけでも雨の憂いを味わっておこうと思う。
90年代のイノセント・ワールド
13 May 2011 Leave a Comment
この間ふと頭の中でMr.Childrenの「終わりなき旅」と「優しい歌」と「名もなき歌」の違いがわからなくなってYouTubeで検索したら、そのままずるずると終わりなき90年代JPOPサーフィンを始めてしまった。YouTubeってプレイリスト機能があるんですね。それを初めて知って、このごろこつこつと青春時代の懐かしい曲のプレイリストを作ったりして遊んでいる。
私は日常でほとんど音楽というものを聞かない。だから私の音楽に対する嗜好は中学生のときのまままったく変化をしていない。中学や高校のときに友達と学校の行き帰りに歌った歌が、私の音楽体験のすべてといっていい。JPOPで言えば、小学校6年生のときの槇原敬之の「どんなときも」やブルーハーツの「情熱の薔薇」、中学1年生のときのMr.Childrenの「CROSS ROAD」、Dreams Come Trueの「決戦は金曜日」、ユニコーンの「雪の降る街」、サザン、B’z、スピッツ、イエロー・モンキーズ。ああ懐かしい。まとめてみるとしめっぽいけどしっかり90年代の匂いがするリストだ。
このころはそういえば小室哲也ファミリー全盛期だった。しかしそれについて書くべきことは何もない。
こういうことを書くのは恥ずかしいような気がするけれど、私が中高生時代に一番真剣に追っていたのはMr.Children、大学に入ってからは槇原敬之だ。自分で言うのもなんだけれど、軽薄だけれど内向的でややうつ傾向のある10代から20代前半の私に、日常の淡い絶望のなかにある小さな希望を歌う彼らの曲は優しかった。2000年以前に出たアルバムの曲はマイナーなものまで多分全部そらで歌えると思う。
Mr.Childrenのファンで同意してくれる人はたくさんいると思うけれど、私がこの世で一番よく聞いたアルバムは「Everything」で、その中で一番よく歌った歌は「星になれたら」かもしれない。ミスチルの歌はうざったくて苦手な人が結構いるかもしれないけれど、あの半音ずれとライムと声のコンビネーションはちょっとくせになりやすい。もちろんヴォーカルの桜井和寿さんのセクシーさも重要なポイントであった。ごく一般的な言い方をすれば、ほとんどの楽しい思い出やらせつない恋やら人生の分岐点の思い出は、友達と歌ったミスチルの曲と一緒に思い出される。
槇原さんはなんというか、絶望希望の人生をともに歩んできた友達のように勝手に感じている。痛々しくて、というか身につまされすぎて普通のときに聞けない曲も結構ある。人生がつつがなく過ぎているときにはそんなに聞きたいと思わないのだけれど、どん底からずるっと上がってきて岸にようやく手がかかったあたりで聞くと非常にぴったり心にしみこんでくる。あの粘着質でなんともいえない底根の暗さが、なんともいえず好きなのだ。
ちなみに余談だけれど、私は昔からよくDreams Come Trueの吉田美和さんに顔がそっくりと言われてきた。ドリカム全盛期のころには10人に9人には言われたし、自分でもアルバムやテレビに吉田さんが出てくると、「自分じゃん」と思うことがあった。一度なんか、髪を切ろうと思っていつもの美容院に入ったら、新しく入ったシャンプー係りの女の子に一瞬絶句されて、「・・・・・ああ~・・・、びっくりした!本人かと思いました」といわれたこともあるくらいだ。それがちょっと自慢だったけれど、ここ何年もそんなことをすっかり言われなくなってしまった。そういえば確か初恋の男の子に誕生日か何かで、未来予想図IIの入ったオルゴールをもらったこともあった。友達に冗談でもらったドリカムのキーホルダーを学生かばんにつけて中学校に通っていた。
ああ、なんて昔の話なんだ。・・・という風にずるずると、すっかり忘れきっていた小さな思い出が数珠繋ぎにでてきてなんだか切ないような楽しいような気持ちになる。十代なんてまるで戦争前の話みたいだ。それが自分だったなんて思えないくらいに。いやいや、いやはや。それからいろんなことがあった。山のようなろくでもないこととすばらしいことが起こっては過ぎ去った。
またどこかで会えるといいな イノセント・ワールド…..
会えるだろうか。うーん、90年代POP、なかなか感傷的にさせる手ごわい相手である。
週末は素敵だ
01 May 2011 4 Comments
金曜日の夜に仕事が終わった後、友人夫婦に「もうご飯たべた?」と電話をするのが習慣になりつつある今日このごろ。ブログでもしつこく書いているように、ここ1ヶ月ほど休日出勤や深夜残業が続いていてウイークデイは人間らしいまともな生活をしていないので、金曜日の夜になると、まるで週末の2日間が永遠に続く楽園のように感じて興奮してしまい、一人で家に帰るのがもったいなくてしょうがないのだ。
その夜は家の近くのちょっと高級なチャイニーズレストランチェーン、「メインランド・チャイナ」に行った。ちなみにインドでは中華料理はインド料理の次に一般的な料理で安いんだけれど、それらは一般的に「インディアン・チャイニーズ」と俗称されていて、インド人の独自の解釈でもってかなり簡易改良されている。おいしいんだけど、根本的にかなり違う。「メインラインド・チャイナ」はその中では比較的本格中華に近い部類のインディアン・チャイニーズでなかなかおいしい。ソフトシェル・クラブのブラックビーンズソースと北京ダックの春巻とチキンポットライス。カニはいつ食べてもおいしい。幸せだ。
夜更かししたので土曜日の朝は眠い。朝用事で早朝に出かけ、帰りに朝ごはんのウプマを買って帰って食べたら眠くなったので床に転がったまま朝寝。昼過ぎに起きてご飯を食べて、それからごろごろしながらラーメンズのライブDVDを見て過ごす。ムンバイの4月の日中は殺人的な暑さなので、屋内でラーメンズのクールな芝居を見て過ごすのはなかなか悪くない。ラーメンズ小林賢太郎さんは顔もスタイルも声もとても素敵なので、ついそのたたずまいをうっとり眺めてしまう。うーん、かっこいい。もちろん片桐仁さんも大好きだ。ぎりぎりじんじんじん。隣のおじさんが、日曜日に開催される新聞社の創立記念コンサートの招待状をくれる。
↓ちなみにマイベストラーメンズ。
夕方近くなって、ようやく「いかん、これでは体がなまってしまう!」とつぶやいてエイエイオーポーズをやって気合を入れ、ジムバックに着替えを詰めて外に出る。歩いてジムまで行ってランニングと筋トレをやって、シャワーを浴びたらさっぱりした気分で近くの本屋に行って、欲しかった情報雑誌をチェック。今日は土曜日だし、面倒だけどちゃんと野菜でも料理したほうがいいかな、と頭の端で考えつつ雑誌を選んでいたら、友達から「今マックにいるんだけど、家に寄ろうかと思って」と電話が入ったので、瞬時に「あ、もうマックでいいや」と頭のスイッチが切り替わって料理計画は取りやめ。バーガーとポテトをほおばりながらおしゃべりをして夜が更ける。お風呂に入るのがいつも面倒くさい。
日曜日も早起きして出かけた後、「いや、今日は朝寝をしないぞ」と心を戒めて、家に帰って野菜サラダとかぼちゃのオムレツで朝ごはん。昼前にまた用事があって出かけて、ついでにカーテン用の布をちょっと市場に探しに行ったんだけど安くてちょうどいいのがみつからない。あきらめて家に帰ってきて、ネットで調べ物をしたり、考えごとをしたりして午前中を過ごしてからお昼ご飯。朝買ってきた新鮮な大根をミキサーで摩り下ろして、冷たいおろしうどん。ご飯の後は持ち帰った仕事をちょっと開いてしばらく仕事の見直しをする。途中で急にカーテンのアイディアを思いついて、家にあったちょうどいい大きさの布をもって道端のミシンやさんに行って縫ってもらう。これで問題解決。
夕方前にコンサートに行く準備をして友人と合流。家からリキシャで5分の地元の劇場で、中に入るのは初めてだ。入り口で隣のおじさん(新聞社の編集長)と挨拶してから劇場に入って席に着くと、司会のコメディアンが出てきてマラティ語で前説をしたあと、次々に地元の歌手やダンサーが出てきて歌ったり踊ったりのエンターテインメントが始まった。新聞社のコンサートというので、ある程度クラシックでトラディショナルなものを予想していたんだけど、クラシック・トラディショナルというよりはローカル・歌謡民謡的、という感じで、それはそれでなかなか面白かった。後半には表彰式もあり、マラソンで優勝した女の子や骨軟化症の天才少年など、ニュースになった地元ヴァシの人たちを取り上げたりしてほほえましい。コンサートは永久に続く様子だったので、もらったサモサを食べて眠くなっちゃった私たちは途中で退散。帰り道で軽くご飯を食べて家に帰ってきた。
プロダクティヴなようで、なにもしなかったような、前向きな用で方向性がないような、そこここで小さいドラマがあったようで、何も起こらなかったような、のんきで幸せな、平和な週末であった。






Recent Comments