「場所」の失われた世界で

外出自粛でリモートワークになった多くの人に共通すると思うのだけれど、3ヶ月も自宅勤務していると最初はなんだかんだ言っててもそれなりに慣れてくる。結婚しているか、子供がいるかどうかで置かれている状況はかなり違うと思うが、私の場合、ひたすらに一人で生活することに慣れてきた。「出かける用事がない」というだけのことが、生活の管理を圧倒的に楽にする。毎日の規則正しい食事とエクササイズで前より確実に健康になっている。最近YouTubeでハマっている勝間和代さんのおっしゃる通り、家事が回ると自尊心がアガり、生きやすくなる。40年以上自分はダメ人間だと思って生きてきたが、ただの時間とプライオリティ付けの問題だったのかもしれない。なかなかうまくいっている。

唯一、波の満ち引きのように何度か限界を感じているのは、一人で暮らし、一人で働いていると、人が集まることで生まれるエネルギーの恩恵を受けられないことだ。複数の人が集まることで生じる摩擦や矛盾、他者の意思や思いは問題意識の起点になる。この自粛期間中、自分が何をやるべきか目標を見失った時にその理由を考えていたら、自分でも意外なほどに「目の前のこの人たちのために自分に何ができるだろう?」という問いかけが自分の仕事のエネルギーの重要な源泉の一つだったのだと思い至った。接触が少なくなると、自分が所属している組織への帰属意識も薄れがちになり、それを最初は自分にとって致命的な価値の喪失のように受け止めて辛く思った。

自分の気持ちの変化にそれなりに抵抗し、もがきもした。しかし変化には必ず常に良い面がある。何かが変わろうとするときには、失われるものよりも、あらがうことによる機会喪失のほうがずっと大きい。心理的抵抗や違和感のほとんどはチャンスでもあるのだ。…少なくともそう思うといろいろなことが受け入れやすくなる、と思う。

私たちはこれまでに思い描いていた「場所」というものの意味を急速に問い直されている。家庭という空間、オフィスという入れ物、会社というコミュニティ。これまで自分で気づいているよりずっと、場所の力によって与えられた課題を自分ごととして、振られた役割を無意識のうちに自分の使命の一つに取り込んで生きていたのかもしれない。その「場所」に、誰かに対するように愛情を持ち、同時に守られることで依存もする。まるでそこにあることが当たり前であるかのように。人は誰かのために、その人たちと生きる場所を守るために生きている。

「場所」を奪われ、「人」との交流を奪われ、人々はこの3ヶ月で自立することを否応なく強要された。自分で考え、自分一人で始め、自分で結論をつけ前に進む方法を学ばされている。人との物理的距離の長短が失われた暮らしの中で感じたことは、現実を支え合うこと以上に、自分自身がとった責任に対する日々の思いをただ語り合う人の存在の大切さだ。それぞれの持ち場でそれぞれの人生を生きる仲間を認めあって、ただ時間を共有すること、語り合うことが何よりも役に立った。ひょっとしたら人は愛情と物事を面白がる好奇心さえ共有していれば、現実を支え合いすぎる必要はないのかもしれない。

会社という組織は弱い繋がりだ。突き詰めればそれはミッションと利益を共有する人々の集まりにすぎない。実は弱い繋がりだからこそ、組織はその目的を果たしつづけるために、ここに繋がり続けたいと思う人たちを絶え間なく増やし、良質な関係を深めていく必要にかられている。会社が社員を大切にして、目標を更新しつづけるのはそのためだ。どこからでも好きなペースで働ける自由な条件の会社が増えれば増えるほど、一つ一つの会社がかつての集団帰属意識のような幻想ではない、本質的でお盆に盛って見せられる価値を社員に提案し続ける必要が生まれている。

同時に、組織や個人から一緒に働く仲間として選ばれた、意志を持った「私」の存在価値がますます問われる時代がやってくる。ただそこに所属していること、長く同じ場所に存在していること、用意された型にハマっていることの価値はきっと暴落していく。

その変化が起きた時、私は誰かに頼らずとも自己充足的に幸せで、誰のことも責めず、誰かに常に求められる人間でいられるだろうか?

場や人が与えてくれるエネルギーはあくまで疲れた時にかじるエナジーバー程度に止めるべきなんだと思う。外的刺激や人の思いばかりを主燃料とするのじゃなく、天然の、簡単につきない地熱のような燃料を掘り起こし続けて火種を維持しつづけなければならない。自分がしたいことをすることのほうが、きっと長くはいろんな人の役に立つようになる。愛と依存は明確に分けて不純物は取り払おう。前者は守り続け、後者は今ここに置いていこう。必要ならばいつでも解体し、組み直し、あるいは一人でやることにこだわらない生き方、働き方ができたらいい。

置いて行こう。変わってみよう。後戻りする必要は多分ひとつもないのだ。

Published by

Ai Kanoh

Working for marketing, branding, business.

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