今日も元気だご飯がうまい、のプログラミング

Go To Eatキャンペーン、先週末に政府予算のリミット越え終わってしまいましたが最高でしたねぇ。遅れて参戦したので行けたレストランは5軒だけでしたでしたが十分楽しませていただきました。ありがとう、日本政府。

Go Toがきっかけで家の近所にある一匹オオカミに優しいお店を開拓できたのが幸いだった。孤独のグルメじゃないけれど、私にとって一人でもくつろげる食べ物屋を持つことは死活問題だ。女性の一人飯はそれなりに店を選ぶ、かもしれない。カフェランチとかであればハードルは高くない。しかし夜の焼肉屋や中華料理店、ラーメン屋、焼き鳥居酒屋、エスニックなんかは男かグループ客ばかりだし、きちんとした寿司屋や小洒落たイタリアン、フレンチはカップルかチーム・マドモアゼルばかりで、一人で食べる女性にフレンドリーな店は大都会東京でも比較的少ないように思う。私は気後れしつつ、わりとどこでも一人で入る。その点、Go To Eatで「1名で座席のみで予約OKのお手頃なお店」(その数は極めて少なかったのだけれど)は大体雰囲気が良くてハズレがなく、キャンペーンが終わった後もリピートしている。テクノロジーを通じても、店主の心意気は以外と通じるものなのかもしれない。

ご飯といえば、私は本当にきっちりかかさずご飯を食べる。物心つく頃から今に至るまで、3食きちんと食べなかった日は思い出せるほどしかない。朝起きるといつもお腹が空いていて、どんなに遅く起きても朝ごはんを抜かない。朝が遅くても昼は兼用しないで必ず食べるし、深夜に家に帰ってもちゃんと夕飯をとる。胃腸炎で入院したことがこれまでの人生で5回もあるのだけれど、水以外ダメと医者に言われた日以外は病院食を残さず食べたし、検査で食事を抜かれた日は、看護婦さんに大泣きして頼んで特別に食事を出してもらったことすらある。

美食家ではないし、味にはこだわりがない。ただ、お腹が空くのだ。キャリアのどん底にいたころも、トキシックで病的な恋愛をしていたころも、お酒の飲み過ぎやストレスで体をこわしたときも、いつも朝はお腹が空いて目覚め、昼前と夕方になると食べ物のことを考えた。食べると幸せになり、空腹が続くと怒ったり泣いたりする。それだけはずっと変わらない。そして、これまで食べたものほとんどすべてが美味しかった。高級なお食事も、ジャンクなメシも隔てなく。不味かったのは思い出せるかぎり自分が作ったチャーハンと道端で買った冷えた団子ぐらいだと思う(チャーハンは難しいですね)。

ご飯をちゃんと食べるこの素敵な人生をプログラムしてくれたのは、母とふたりの祖母だろう、と今になってしみじみ思うのだ。

保育園児のころから、教師として早朝から出勤する母は1日も欠かすことなく子供たちを朝5時に叩き起こして牛乳を飲ませ、半分目をつむって食べている子供たちに、寝るな!箸を止めるな!と叱りながら暖かいご飯と味噌汁を食べさせ、トイレに行くのを見届けてから通勤していた。高校時代は毎日かかさず手作りの凝った綺麗なお弁当を持たせてくれた。毎日夕食を作って待ってくれていた父方の祖母は、昔給食婦をしていて和食が得意だった。晩御飯には時間をかけて作った味ご飯や様々な煮物や汁、魚の煮付けをテーブルに溢れるぐらい何品も出してくれた。おやつには手作りの五平餅やお団子、天ぷら粉のあまりで作っただら焼きなんかをよく作ってくれた。実家の祖母が亡くなったあと、心配した母方の祖母がこんどはよくご飯を作ってくれた。この人は生まれがお嬢さんだったので洋食が得意で、カリカリのフライや天ぷらをよく揚げてくれたし、大学時代は朝学校に行く前に毎日この祖母の家に寄って、野菜とパンとスープが盛られたモーニングプレートとコーヒーをいただいていた。

子供の頃の辛い思い出と重なって、食べることが好きになれない、という人がいる。そんな話を聞くと、自分が家族から与えられてきた素晴らしい食事のことを思い返す。私には食べ物に辛い思い出は一つもない。いつもお腹が空くと、誰かがそれを見越して用意してくれた暖かい美味しいものが目の前にあった。私はそれほど料理が得意ではないのだけれど、人に料理をするのが好きだし、誰かに作ってもらうのも好きだ。一人で過ごすのが寂しい日には角の安い中華屋さんが作ってくれるチャーハンの湯気や、馴染みの珈琲店の年老いたマダムが入れてくれるコーヒーの香り、行きつけのカフェの店主が得意げに持ってくる具のないパスタからも愛情を感じて元気になれる。深夜ヘトヘトで家に帰る途中で寄ったオリジン弁当の、眠そうなおばさんが作ってくれるうどんにも、たっぷり幸せが詰まっていると思う。食べ物は愛だ。自分が子供の頃に与えてもらったこの真理は、どんなに細部がバグっても絶対にシステムダウンしない、世代を超えて連鎖する強固な愛のプログラムだったんだと思う。

そして、親しい人と美味しさを確かめ合ってご飯を食べることほど素敵なことはない。

歳をとって、もしも将来老人ホームに入っても、毎日出してもらえるご飯を嬉しそうにちゃんと最後まで残さず食べて、介護士さんにすごく褒められるんじゃないかと思う。3時にきまってお茶とおやつを出してくれるとなお嬉しい。何かロクでもない事が起きてびっくりするほど貧乏になっても、迷わず炊き出しに一番に並んでおにぎりをもらいに行くんだと思う(その前に好きなご飯を1日3回食べられる人生を是が非でも死守しますが)。

私が食事の中でも一番好きなのは朝ごはんだ。毎朝おきてサンドイッチを作って食べるのを楽しみに布団から出る。起きるとすぐ台所に立って冷凍してある食パンをカリカリに焼き、フライパンで目玉焼きか卵焼きを半熟に焼く。ハムか細かく切ったウインナーを一緒に脇で焼き、刻んだ野菜と一緒に溢れるぐらいパンに盛り付けて、はみ出しそうな野菜を押し付けて二つ折りにして、あったかいお茶か牛乳と一緒におもいっきり頬張る。半焼けの卵が滴るのをパンですくって食べるのも楽しい。背中が暖かくなって血糖値があがり、目がぱっちり開き、今日もやれやれなんとか生きて行こうと思う。朝はそう始まる。そう始まる限り、きっとずっと悪くない人生のはずなのだ。

Published by

Ai Kanoh

Working for marketing, branding, business.

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