ダイビング日誌(2)あなたが体験しうることは、それ1つとは限らない

2021年の8月にスキューバのライセンスをとった。その後10月になって、アドバンスのライセンスを取得した。ダイビングでは潜水回数を1本、2本と数える。2023年2月までの1年6ヶ月で45本を潜った。1ヶ月2.5本。ものすごく早くはないが、多分悪くないペースらしい。マリンスポーツは夏のものかというとそんなことはない。ダイバーも、サーファーも、真冬の極寒でも海に入っていく。季節を一巡して、2月の千葉の冷たい海に潜っていくことが面白いと思えた時、これは続けられるな、と思った。状態のいい中古の軽自動車が買えるぐらいの資金を叩いて、必要な機材をすべて揃えた。

ライセンスをとるに至った顛末は、以前ブログに書いた通りだ。沖縄の海で初めてボートダイブ体験をした時に、海面で人生初のパニック状態に陥ったことが始まりだ。海面で死の恐怖に襲われたのに、意を決して潜水したら恐怖が消え失せた自分。TVのチャンネルが「ジョーズ」から「ファインディング・ニモ」に切り替わったみたいな意識の変化。パニックになっている人を見てもお坊さんのように落ち着いた様子のプロダイバーさんたち。人間の意識はデタラメだ。そして恐怖心や不安とは、ある程度意志でコントロールできるもののようだ。ならばこの生死の境の意識と、最高の集中力をマスターしてみようじゃないか、と考えた。人生の役に立つに違いないと思ったのだ。

元々、私は恐いものがある状態が怖い。恐怖は人に影響を与えすぎる。何かを避けて生きると心に歪みが生じる。そのせいで若い時にいろいろ失敗したので、意識にアンタッチャブルな領域を作らないことを行動指針にしてきた。気になったことはおかしいと言い、空気を読まずに質問し、暗い襖や怪しい壺の蓋は開けておきたいのだ。自由に暮らすためには、意識の活動区域をなるべく狭くしたくない。

そんなわけで始めたダイビング講習だが、3日間のオープンウォーターダイバー(OWD)ライセンス講習は、率直に言って地獄だった。8月中旬だというのに妙に肌寒く、講習が開かれた勝浦の水温は真夏だというのに18.8度。雨がざあざあ降って風もあり、濁ってうねった海。砂とプランクトンを巻き上げ、2メートル先が見えない浅い海底での実習。そしてこの実習メニューがやたら怖い。

  • マスク(潜水用ゴーグル)がうっかり海中で外れた時、水中で付け直す練習。
  • レギュレーター(空気を吸う器具)がうっかり口から外れてしまった時に、慌てずにはめなおす練習。
  • 器具が壊れて空気がうまく出ない時に、泡状に水中に放出して啜るように吸う練習。
  • シリンダーに空気が足りないことに気づいて、他のダイバーに恵んでもらう練習。
  • 器材が泳いでいて外れてしまった時に、海中で自分を回転させながら付け直す練習。
  • 非常事態で海面に急浮上しなければいけない時の避難練習。
  • 他のダイバーと海底ではぐれた時に、しばらく捜した後浮上して海面で助けを待つ練習
  • ….

いや、怖い。OWDは主に海で死なないための講習メニューだ。「これができなかったら死ぬ」と思い、パニックで溺れ死ぬ自分の姿が頭に浮かぶ。波とうねりもあいまって終始気分がすぐれなかった。おかしい。全然楽しくない。

ところが講習3日目、寝て朝起きたら、なぜか恐怖が薄らいでいた。怪我の痛みが治癒にしたがって鈍くなるかのごとく、恐怖が根拠のないものになり遠ざかっている感覚があった。その日は海に入るのが当たり前のように思えた。マスクに海水が入るのが、昨日までなぜそんなに恐ろしかったんだろう?馴れが恐怖を感じる閾値を上げたのだろうか?その日は海底にいて1日心が穏やかだった。修練の効果はある時急に現れるものらしい。なんとか無事ライセンスを取得した。

以来、できるだけ月1回は潜るように予定を立てている。経験が浅いため、海から離れて時が経つと馴れが薄れて恐怖が戻ってくるからだ。実際に、ライセンス取得から1年近く経った後でも、数ヶ月空けて久しぶりに水に浸かって潜行する手前で軽くパニックに陥ったことがあった。「あ、潜れる気がしない。怖い」。急に、息ができない場所にいくことがものすごく奇妙な行動に思えた。心臓がしめつけられて呼吸が速くなる。先に行ったインストラクターさんが水の中から「大丈夫?」という表情でこちらを見ている。あ、そうか、このチャンネルじゃないや、と気づいた。深呼吸をする。ガチャガチャ(ダイヤルを回す音)。思い出せ、こっちこっち、あったあった、こっちの意識モードだ。

新しいスキルを身につけるということは、自分の中にそれまでになかった新しい意識のチャンネルを構築することなのかもしれない。ダイビングのニュートラルモードは「無」だ。余計なことは何も思わず、本当に命に関わる重要なことしか意識に昇らせない状態。自分の身体感覚、残圧、浮力、仲間の動きと、波とうねりだけに集中する。落ち着くと、海底の景色とそこにいる生き物が見えてくる。冒険スペクタクルや、瞑想、お勉強、鍛錬など、いろんなモードに意識が切り替わりながら海中の体験が進行していく。心が乱れることが生死に関わるスポーツだから、もう一人のメタな自分が、いろんな意識を縦横無尽に行き来する自分自身を観察する。常時大丈夫か確かめ、その変化を面白がっている。このメタ意識の獲得が、プロダイバーさんたちの落ち着き払った心の秘密なのだろうか。

「そこであなたが体験しうることは、今意識にのぼっているそれ一つとは限らない」

これが、ダイビングを通じてまず最初に学んだことかもしれない。意識は一つではなく、無数のモードで成り立っているらしい。もちろん自然と湧き上がってくる解釈や感情には何がしかの根拠がある。あるのだけれど、その根拠は自分が思っているよりずっとあやふやで曖昧な記憶や思い込みでしかない。自分が気づかない気圧や水圧や潮の変化も受ける。その体験が恐れの感情を引き起こしているとしたら、そこには「恐れない」という選択肢がある。そのことをメタな自分が知っているべきだ。選ぶとは、恐れを無理に押さえつけることとは全く違う。自分の意識のありようが絶対的なものじゃないこと、1つの可能性に過ぎず、場合によっては意志による切り替えがきくこと。それを知っていることが、困った時に役に立つ。

ダイビングは、本来生きるべき陸ではなく、生きるべきでない海底に留まろうとするある種不自然な状態を通じて、自分が特定の意識を選ぶ前の状態、その究極の “neutral state of mind” を教えてくれている気がする。このスポーツを始めてから、環境から何かを受信し、それを判断して何かを感じるまえの、デフォルトモードの存在に気づけたような気がする。時々、普段の生活でも少しだけ、そのデフォルトモードをつかまえられるようになった気がする。スピリチュアルな意味ではなく、生理学的な感覚として。

ダイビングはおもしろい。いつも楽しいわけじゃないし、手放しに快適とはとてもいえない遊びだけれど、たぶん、だからこそ。

つづく

Published by

Ai Kanoh

Working for marketing, branding, business.

Leave a comment